「引き寄せの法則の限界」と「生命の源は欲望であること」について

引き寄せの法則の物理的限界


引き寄せの法則みたいな感じのって結構流行したけど、結局かめはめ波が打てる人間が存在しない時点でそんな法則はたかが知れている。


そんな法則で変えられるのは、自分の行動と脳の認知機能程度のものなのである。


それでもどうやら人間は祈るし願うし思い込もうとする。


まだ見ぬ素晴らしい未来があることを堅く信じて祈り続けて行動する。


今までの人生を振り返ってみると、基本的にいつも何かを求めている。


何がどうなればいいのに、という祈りというよりかは汚い欲望と呼称した方がよいような儚い祈りをいつもささやかにささげている。


現実的に実現可能な祈りは極々自然な展開で成就して、何不自然なく自分の生活に溶け込んでいる。

どうにもいつまでも欲望が尽き果てることはない。


祈り欲望する事が常態化しているのだろう。


不満の解消ことを欲望していたら、いつも不満について目を向けるようになっていた。

欲望が消滅するように毎日祈れば欲望はどのような動くのだろうか。

欲望こそが生命の源


そんなこんなを考えながら、脳みそが一生遊んで暮らしたいなぁ、なんてことを欲望し始める。


誰も彼もがそうなのかは不明だが、少なくても私は息をするように欲望するらしい。

そのおかげで私は生命活動を持続しているのだから、それを咎めるつもりはない。

だがしかし、このままでは私は私の祈りに終点を見つけることができないままに、なぁなぁで人生を終了させてしまうような気がしなくもない。


何のための欲望なのか。

このままでは今までの私の欲望は自堕落に生きる事が目的になってしまう。

それはそれでいいのだけれど、やっぱり私がドラマやら漫画やら物語にまとまりやオチという名の最終到達地点を求めるように、明確でなくてもいいから、私は私の欲望の最終地点が欲しいのである。


あの第22話で欲望していたそれは、この第128話とあの行動と繋がっていたんだ!みたいな展開が欲しいのである。


私という人生に何らかの一貫性を求めるように、私の欲望にも何らかの一貫性を求めるのである。


欲望の意味までをも欲望するというのは随分と贅沢な話である。


まぁここまでで理解できたのは私の欲望には際限がないという事である。


長生きできそうで良かった。