別れ、転職、変化は険悪最悪でも仕方がない、むしろ普通。

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いつも通りは快適ですか?


人間には恒常性維持機能というものがある。


とても簡単に言うならば、「いつも通りが最高だよね」という方向に動こうとする機能のことである。



暑かったら汗をかいて体を冷やすし、寒かったら鳥肌を立てて体温を保つ。


いつもの自分という情報を基準に人はそこに寄り添うように活動している。


だからこそ生命が維持できるのだから、当然ながらありがたい機能である。


疲れたら休む、元気なら働くから人間はバランス良く前に進んでいくことができるのである。

崩れていく大地の上で日常を生きる


だがしかし、そんな恒常性維持機能にだって欠点はある。


いつもと同じように肉体と精神を保とうとする機能であるのだから、いつもと同じようにしか行動できないのである。



いつもと違う物を食べるとか、いつも趣向の服を着るとか、いつもと違う場所に行くとか。



そういった行動は場合によっては強いストレスになるし、すぐにいつも通りの状態に戻ろうとする。


よっていつまで経っても変わらない。


変わらないままでつまらない。


つまらないだけならまだしも、変わらない生活を続けていたら生物として弱体化するし、変わらない環境で変わらない金銭が得られる訳でもない。



変わらなければ成長できないし、変わらなければいずれ環境は悪くなる。



生物も環境も少しずつ老いていくので、いつまでも立ち止まっていたら不利益ばかりを受ける事になる。



そんな面において恒常性維持機能が強すぎるという事は短所になる。



無論、恒常性維持機能があるから健康を保てるし、精神も安定する。


だがしかし、何事も良い事ばかりということはない、という事なのだろう。



陰陽表裏という奴である。


「損して得取れ」ができるのは人間である証拠


人間は頭の良い生物である。


生物の中で一番頭が良い生物である。



そんな生物だからこそ、計画的に適切な判断をして、あえて安全から離れるという選択を取ることができる。


危険に身を置く、という事が人間には意識的に実行可能である。


そして危険をバランス良く取り込む事で、人間はより良い環境へと到達することができるのである。



挑戦なしに成功なし、という事なのだろう。

安心安全の環境から離れる方法


とはいえども、やはり何かから離れるのは怖いのである。


いつも通りではないのは不安なのである。



離れる不安から逃れるには、離れない事に対して恐怖するのが良いだろう。


いつも通りの安全から逃れるには、いつも通りに不満と怒りを抱けばよいだろう。



円満に。



どこかへ行く時、離れる時、変わると時。


きっと人はそんな事を思い願うのだろうが、学校の卒業式のように綺麗には終われない事だって現実には多々ある。



そもそも、人間は瞬間的なエネルギーに関してはプラスの感情より、マイナスの感情の方が強い。


だからプラスの感情では現状から離れる力が相対的に弱いのである。


「今の場所は当然好きだ!でも他の場所の方がもっと良さそうだ!」と考えている人と、


「今の場所が嫌いだ!他の場所の方が断然良さそうだ!」と考えている人は、どっちが行動力が高いだろうか?



無論、後者だろう。




だから離れる時は、険悪に終わってしまっても、それは結構普通の事だったりする。


そうでなくては、変わるなんて非常に大きなエネルギーが必要な事はできない、という事でもある。






現状を肯定したまま、新しい何かに思いっきり飛び込めるだろうか?


後ろから怪物が襲ってきている時と、後ろから大好きな人が追ってきている時と、どっちが速く走れるだろうか?



簡単な事である。

結論として、人間が変わるには現状を否定しなくてはいけない


だから、何かから離れる時は現状が悪い状態になってしまう事は普通であるし、それだからこそ次へと進んでいくことができるのである。
(無意識的に、自分が今の環境を最悪の場所だと考えてしまうことだってある)



何も否定せずに、誰からも否定されずに何かを成すことはできない。


とっても当たり前の事なんだけれど、平和な世の中だと忘れてしまいがちだ。




変わらなければ進めないし、嫌われなければ主張できないのだから、そこは腹をくくって堂々と行きましょう。