「攻撃は最大の防御」という法則が「弱い者がさらに弱い者を叩く」という現象を引き起こしている

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攻撃されたくないから、攻撃する


試合でも勝負でもよく聞く言葉である。


攻撃をし続ければ、相手は攻撃をする余裕がなくなるから、結果として自分が攻撃される機会が減る。


よって、果敢に攻撃する事は防御としても機能するのだという言葉である。



攻めの気持ちを鼓舞してくれる言葉なので、個人的にもこの言葉は好きだ。



だから今までの私はこの言葉を肯定的に捉えていた。


何かを恐れる余りに防御の事ばかりを考えてしまう自分を叱咤してくれる良い言葉だと思っていた。




だが最近はそうでもなくなっている。


成長やら挑戦やらの分野にて使用される分には今だって何の問題は感じていない。



しかしながら、この法則を利用して、「弱い自分を守るためにさらに弱い人間を叩く」行動に出ていることを強く認識し始めたからである。



最近だけの現象ではないかもしれない。


弱い人間にだってプライドはあるのだから、そのプライドを守るために昔から誰かが誰かを傷つけていたのだろう。


だからこそ、差別階級なんかが存在したのだろう。

自分より弱い人間を攻撃すれば安全安心!

・自分を弱い存在だと認識している

・プライドが傷つけられている

・世間から虐げられている、馬鹿にされている


なんていった人達は、自分がこれ以上攻撃されないために、または自分の自尊心を回復させるために、または自分の傷口から目を逸らすために、他人を率先して攻撃する。


「いじる」とか「からかう」とかいう表現でオブラートに包まれることはあるが、やはりそれはいじめであり暴力である。


ネットの発達した社会では、日夜、誰かが誰かの事を馬鹿にしている。


普段、現実社会で誰かから馬鹿にされている人も、それを悪と考えながらも、ネット上ではどこかの社会的立場の低い人や恥を晒したような人を馬鹿にして攻撃している。


さらにはネット上の人達が社会的地位の高い人達の小さな失言や失敗を正義の名の下に糾弾していたりする。


自己防衛のための悪意が社会で円滑に循環しているような具合である。



酷い有様であると思うが、これが人間なんだろうなぁ、と最近思うようにもなっている。



人間は誰かを馬鹿にしないと心のバランスが取れないのではないだろうか?と考えるようになった。


それが上手な形で処理できれば問題はないのだが、どうにもそれが適切にできないから誰かが不当に損をしたり、どこかで事件が起きたりしているのではないだろうか。



まぁ、人間が生まれ持って所有している性質について、憤りを感じても仕方がない話である。



どうやって、その性質を上手に処理するかも、なかなか難しい話である。



そうなると、「とりあえず自分だけは、自己防衛という目的のための悪意から逃れるために、自分より弱い誰かを攻撃しよう」という発想に多くの人間が、やはりなってしまうと思う。



非常に難しい問題である。