「西尾維新/刀語_第三話_千刀・ツルギ」のあらすじ、感想、レビュー

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刀語は読んでるけど、レビューはやってなかったね

しばらく刀語のレビューをしていなかったのである。


十二巻セットで購入したのだが、中々どうにも読み終わらない。


無論、刀語は名作なので、読みたくないとかつまらないとか、そういった訳ではない。


というか、もう6巻まで読んでいる途中である。


ただ、レビューを書いていなかっただけである。

忘却と補完

人間の記憶というのは、体験した瞬間からものすごい速度で忘却していくものであるから、体験したらすぐさまに何らかの記録に残しておく事が記憶にとっては有効な手段になるのである。



記録して、自分がどんな感想を持ったかを再び見返す事によって、記憶は定着するし、本に対しての新たな観点も見つかり、より深みが増すのである。



だから、そういう意味で本のレビューというのは素晴らしいものである。


だがしかし、これだけ時間が空いてしまうと、どうにもあんまり効果は薄れてしまう。


少なくても記憶を定着させる、という効果はあまり望めないだろう。



これだけの期間が経過すると、思い出せない事を無理やり妄想でつなぎ合わせる、という行為が多分に入るから、なんだかもう別の鍛錬になってしまう気がする。


まぁ、失敗は成功の母というし、なんか偉い科学者は実験途中で眠ってしまったせいで、なんか腐ったんだか化学反応を起こしたんだがで、偉大な発見をしたというのだから、それはそれでやってみれば、なんかしらの良い効果が得られるかもしれない。



どうであれ、やってしまったものは仕方がないのだから、その状況を受け入れてなんとか前に進むしかないのである。

格好いい漢字をカタカナで書くとなんかダサイ


さて、刀語第三巻。

千刀、ツルギである。


ツルギとは、作中では「金と殺」が合体した漢字でツルギと読むのである。

キーボードで「つるぎ」と打ち込んで変換しても、そんな漢字は出てこない。


どうにも、日本の格好いい感じの言葉をカタカナで表現してしまうと、なんかダサイ気がする。



居合抜き→イアイヌキ(語尾がたぬきっぽい)


白刃取り→シラハドリ(鳥さんかな?)


徒手空拳→トシュクウケン(あんまり人気のない犬みたい)




で、今作の千刀、ツルギもなんだか漢字じゃないと締まらないな。



「金と殺」



この強烈な二つの漢字を組み合わせたツルギは非常に格好のいいものである。


実際に三巻を読む機会があったら、たんまり眺めて見て欲しい。


レビューで重要なのは何を主題に置くか


さて、さすがに本題に入ろう。


あれだ、閑話休題だ。




今回の感想の主題は何に置くか?



三巻の主要人物は、敦賀迷彩(つるがめいさい)である。



まぁ、能力的にはパッとしない人である。


知略策略をあれだけ豪華に張り巡らせた所で、なんかスゴイ拍子抜けなミスをして、あっさり負ける。


そんな感じのキャラである。


アニメ版の時でも、「あぁ、この人が一番弱いんだろうなぁ」なんて思っていたけれど、ラノベ版を読んで、余計にその感想が強まった。



どうにも小手先だけで誤魔化しているような印象を拭い去れないのである。


千刀の特徴が「数の多さ」であるならば、敦賀迷彩の特徴は「手数の多さ」なのである。



確かに張り巡らせて混乱させて動揺させれば、それなりに効果は大きいのだろうが、冷静に一本一本を見てみれば、なんてことはないただの刀である。


さらには、どれもこれも同じである。



同じ刀が千本もあるから、使い手としてはいくらでも乱雑な使い方をすることができるし使い捨てる事もできるし、にも関わらず長年使い込んだ刀のように新しい刀を振るう事ができる。


これは間違いなく利点である。



利点であるが、これはどちらかと言うと使用者にとっての利点である。


相手にとっても強烈な脅威になるとは考えにくい。



同じ刀から何回も攻撃されれば、慣れるまでの時間は短くなる。


非常に多数の刀からの攻撃を受けるとしても、それは一人からの攻撃であるのだから、やっぱり複数人を相手にするよりかは幾分マシである。



おそらく三巻でも書かれていたが、やはり千刀ツルギは一対一で使用するような刀ではない、という事だろう。



だから敦賀迷彩の戦闘にはあまり興味を抱けなかった、というのが正直な感想である。

敦賀迷彩の魅力は生き様にある


だがしかし、敦賀迷彩のキャラクターは非常に好きである。



刀の毒を薬として活かす。


この発想からして好きだし、さっぱりした感じの話し方も好きである。
(まぁ、この辺は声優さんの力が大きいのだろうが)



敦賀迷彩は、救われなかったから救っている人間だと思う。


子供の頃に、自分が誇りに思っていた千刀流があっさりと敗北する。


その後は、身寄りのない生活で、生きるために人を殺して生きていく。


人を救うと言われている神社にも救われる事はなかった。


どうにもこうにも敦賀迷彩は救われない人生を送っていた。



そして三途神社の先代敦賀迷彩を「どうして私は救ってくれなかったんだ」と言って、首を締めて恨みの念を持ちながら殺してしまう。




そんな救われない人生を歩んで、敦賀迷彩を引き継いでから、救う側へと転換するのである。


その際に、自分の所属していた山賊を皆殺しにするという点も大きいのだろう。

弱い人間が強くあろうとする姿に人は心を打たれるのだろう


この辺を踏まえて考えると、極々弱く普通の人間なのだろうと思う。


身体能力が強靭であっただけである。


自分が生きるためならば、他人をいくら殺しても良い。


自分がたまたま救われないからと言って、救っている人を恨んで殺す。


どうにも自分が直接的に救われる事がないから、誰かを救う事で自分を癒そうとする。


そしてその立場に転換する際に、過去の自分の都合の悪い部分は切り捨てる。



どうにも自分の都合でしか動いておらず、他人の心を考慮していないように私には感じられた。


だからこそ、敦賀迷彩は虚刀流と戦った際にも、虚刀流の心情を理解する事ができずに敗北した、と考える。



これのどこが魅力的なのか?


と思われるかもしれないが、どうにも恵まれない人間が、自分の環境と能力を考慮して、冷酷にでも、どうにか生き抜いてやろう、幸せになってやろう、という姿勢に強く惹かれるものがあるのである。


結果として、不格好でも弱くでも自分勝手でも、自分の持っているものを存分に活用して幸福になろうとする者には、どうにも惹かれるのである。



主人公的な能力と環境は持っていないけれど、それでも主人公みたいに幸せになろう、という姿勢に魅力を感じているのかもしれない。



漫画やアニメを見て、絶対的な能力を持って何かを打ち倒した所を鑑賞しても、平凡人たる私には何の知恵にも励みにもならない。


ただのストレス発散である。


それよりも、どちらかと言うとモブに近い、あんまり恵まれた素質を有していない人間が、必死で何かを掴み取ろうとしている姿を見ている方が、私は心を打たれるのである。



まぁ、敦賀迷彩はポーカーフェイスであるから、そういう印象を受けない方も多々おられると思うが、私にはそういった弱さと力強さが感じられた。



人の魅力は能力に起因しない。


それが今回の感想である。


以上。