自分をクズだと認めるのはとても辛くて難しいから、人は綺麗事を身にまとって誤魔化すんだろうな

綺麗事を吐くクズ


不格好な綺麗事を毎日大量生産して、周囲の人間が腹を不調にさせて吐き気を催すほどに無理やり食べさせる人間というのが、どうにも世の中には多いようである。


公平やら平等やら愛とか平和とか中立とか、その辺りの言葉を撒き散らして自分に善人のラベルを貼ることはそれなりに楽しいものなのだろう。



それに、「他人は皆、私よりもクズ。だから私が救ってあげないと!」と考える事によって、自尊心を満たす事ができるし、自分の行動に迷いがなくなるし、何より他人に暴力を振るうことが善だと考える事ができる。




綺麗事を身にまとう事は、これだけのメリットがあるのだから、「広告費だけで構成され、恵まれない人へは一切救済が行われない白いバンド」なんかを購入してドヤドヤしながら街を闊歩するのである。



さて、そんな綺麗事であるが、やはり綺麗事を身に纏わない人間からすると、中々に気分が悪い。



全くもって不快な気分になるはずだ。



実質的にはクズである人間が、虚飾をもって不当に利益を得ているのだから当然である。



そういう人間からしたら、「お前らは自分が弱い事を認めて、それでいて誰かからチヤホヤされて不合理な正義を振りかざして大金を手に入れて毎日豪遊したいのだと認めて生きろよ!」という批判が成されるのは心情的にはよくわかる。

綺麗事を吐かないと、現実から逃避しないと心が安定しない


「自分の汚い欲望に正直になれ!」

「欲望があるのなら、実現できるように努力しろ!」


その批判は本質を捉えていて、正しい。



しかしである、その意見というのは「幸福になりたいのならば、超人的な体力、天才的な頭脳、世間の洞察力を手に入れなさい」というくらいに実現不可能なのである。


そんなもん、無理に決まっているが、確かに正論ではあるのだ。



無理である。


無理だから、その人は凡人を生業として生きているのだから。



そもそもの話として、どうして綺麗事を身に纏う人間が多いのか?という話である。


それは、
・能力も性格もクズである事を無意識下では知っている
・しかし、それを自分の意識ではっきりと自覚して受け入れる能力すら有していない
・それに、そんな事を認めてしまったら、自分は今以上に酷い人生を余儀なくされる

結論:だったら偽物の正義や綺麗でもいいから、それを身に纏って、少しでも自分の心と生活を守った方が良い!


綺麗事はクズの生存戦略であるのだ。



そして、「クズであることを認めて生きろ!」と主張する人には、その辺に気づけていない。

虚飾を目的とした綺麗事が世界を歪ませる


「クズである事を認めて生きる」という事は恐ろしいほどに難しい。


それを認めてしまったら、それ以降自分の人生の展望までもが暗く寂しいものになってしまうと思うからだ。
(実際は、認められない方がより悪い結果を生むと思う)



よって、自己防衛手段として自分の心を誤魔化し、都合の悪い事は見ない。


さらには自分のやったことは理屈なんか必要なく正義である。


そうでなくては、やっていけないのである。


そうでなくては、生きていけないのである。



そして何より面倒な事実は、この世の人間の大半はクズであるから世界はよくわからん感じで歪んでいくのである。


心の歪みが世界を歪ませるのであるから、やっぱり自分がどんな人間であれ、しっかりと自己を認識する事ができれば、もうちょっと良い社会になると思うのだが、まぁそれもまた理想論である。