明るい話を続けるから、人は少しずつ明るくなれる!辛い時こそ喜びの話を始めよう。

どうしてこうなったのか


私の話である。


最近暗い話が続いている。


まぁ、ある程度の原因は理解しているつもりだ。

一つ一つは大きな問題ではないのだけれど、数が多い。


数が多くて、長期間に渡ってそんな苦痛が続くとなると、やっぱり気持ちは暗くなる。


心がダメージを受けているのだから、心を守ろうと心を閉ざすのは自然な話である。


気持ちが暗くなって、心が閉じてくると、同時に不思議と望みが湧いてくる。


希望ではない、どちらかと欲望という方が正しい。


「楽になりたい」とか「助けて欲しい」とか「何も考えたくない」とか言った類の望みである。


そしてその望みを叶えようと努力しても、上手くいかない時だってある。


そうすると余計に心は閉ざされる。


悪循環である。


高い所に手を伸ばすと、自分との距離の遠さに絶望してしまうし、それでも頑張って登ってみても、落ちでもすれば大きなダメージを受ける。


それが続けば、人は簡単に暗くなる。


それでも明るい方へと手を伸ばさなくては

まぁ、だからと言って、それは言い訳にはならない。


断じてならない。


自分が暗くて不幸だという事をいかに熱弁した所で、周囲の人間からすれば不愉快である事に変わりはないから、許容される道理はない。


勿論、自分自身だって、常にそんな心境であっては何が楽しくて生きているのかわからなくなってしまうだろう。


どんな形であれ、人間は生きている限りは幸せな方向へと進みたいと望むのである。


望む方向へ行けるのが良いに決まっているのである。


自分が心から望む事を叶えるのが自分にとって素晴らしいのは言うまでない事である。


いくら暗い気持ちになっても失敗しても、それでも幸福を望むのだから、そこへ向かうべきなのだ。


希望を語ろう、明るい話をしよう


結局の所、行動は思考から始まる。


がんじがらめで上手くいかなかった人、ずっと上手くいっていない人が、すぐさま果敢に行動して成功して幸福になるなんてのは、現実的じゃない。



最初は想像であり、希望である。


自分が小さい頃になりたかった事でもいいし、これからなりたい事でもいい。


荒唐無稽でもいいし、机上の空論でもいいし、捕らぬ狸の皮算用でもいい。



想像と妄想はお金もストレスも体力もかからないのに、世界で一番自由で快適である。


それを使うことさえ辞めてしまった人間が、前に進む事ができるだろうか?


体のエネルギーは食事によって得られるけれど、心のエネルギーは愉快な想像から生まれるのである。



想像だけは自分の世界でいいのだ。


そして希望は自分の思い描くままでいいのだ。


そんな柔軟な心の活動こそが、心に熱を与える。


たまには明るい話をしよう