長文を書いたからと言って、良い文章を書いたと思うな。

文章なんて膨らまそうと思えばいくらでも膨らますことができる


何にがどうなっていれば文章は良い文章なのか。


それは人それぞれであるのだろう。


ある人は、要点だけを簡潔にまとめ上げることに魅力を感じるかもしれないし、またある人は一つの物事に対してたくさんの観点や表現を使用して、あらゆる人の理解を促すことに才能を感じるかもしれない。


文章で伝えたいこと、目的。


例えば人を感動させたい、自分の気持ちをわかってもらいたい、新しい世界があることを伝えたい、こういう可能性があることを知ってもらいたい。


十人いれば十通りの表現方法、考え方、切り口、観点があるだろう。


そして、どれが正しくてどれが間違っているなんてことはない、どれもが皆が必死でこの世の正しさ、答え、真理を追求した結果なのだから、全てが素晴らしいのだ。


それを否定する人、どうでもいいと嘲笑する人、そんな人は他人のやる事にいちいちケチをつけて喚いていないで、自分とは何かという所を模索し研究し表現する事に注力した方がいいのだ。


そうして方が、自分だってもっと幸せになれるし、世界はもっと良い方向に向かうだろう。


そう、文章を書く、良い文章とは何かを突き詰める事は世界を変えていくこと、世界を良い方向に変えていくこと、世界の皆の心が繋がることなのである。


これだけインターネットの技術が向上して、世界中の誰もが繋がれる時代になったのに、どうにも現代社会に孤独感、不安といった「他人と繋がれない」ことが原因となって発生する悩みや障害が満ち溢れている。



それこそがインターネットという科学技術を盲信して、人との繋がり、言葉の大切さ、文章の良さ、という事を考えなくしてしまった要因であり、余計に人と人が離れ離れになってしまう事になってしまったのだろう。


だから今こそ文章について考える時なのだ。


これだけ悪文、誹謗中傷、自作自演に炎上商法が闊歩している時代であるからこそ、私は私の文章を突き詰めて本当の私を表現したい!と自信を持って表現するべきなのだ。


自分でなんであるか、世界はどうあるべきか。


繰り返し言うがそれに答えはない。

だが、それを懸命に考えて、自分なりの絶対的な答えを導き、それを周囲に示すこと。


それこそが良い文章、ひいては世界を良くしていく魂と情熱がこもった文章になっていくのだろう。


私にこのような文章を書く機会を与えて下さった、編集の云々さん、アートディレクターのかんぬんさん、さらには私の愛すべき妻ジョセフィーヌに感謝の言葉を贈りたい。


たくさん頑張ったからと言って、良い仕事をしたと思うな。

これこそが日本の悪しき風習だと思う。


残業すればするほど偉い。

たくさん頑張った人ほど偉い。

飲み会で上司に媚びへつらった方が偉い。

休日出勤した方が偉い。

さらには休日に上司とゴルフに行った方が偉い。


こんなことばっかりやってるから、自分の時間がなくなって、自分のやりたいこともなくなって、絶望していくんだよ。


できるだけ頑張るな、もっと楽しようと思え。遊べ。