「西尾維新/刀語_第八話_微刀・釵」の感想、レビュー

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アニメでは語られなかった、虚刀流の弱点

そんな一幕が、この巻では見る事ができた。

虚刀流と左右田右衛門左衛門との会話での事である。


なるほど、今までのその人の戦歴とどれくらい苦戦したか、について調べればその人にとって得意な相手、苦手な相手というのが理解できるという訳だ。


七花の性格からすると、確かにそうだろうな。と感心した。


個人的には最弱は敦賀迷彩であると思っていたから、仰天した。


まぁ、気になる方は読んで見るといいかもしれないです。


人形にキャラクター性はないよね、やっぱり


日和号にはなんも感情移入もできなかった。


アニメ版での戦闘シーンには熱くなった記憶があったが、ラノベ版であるこの本に関してはあまり強い印象はなかった。


このレビューをかき始める時も、「アレ?この巻って何かあったけ?」みたいな感じでストーリーを明確に思い出す事ができなかったし、感想として語りたい事もそんなになかった。


恋のきっかけは外見かもしれないが、結局は性格なんじゃないだろうか


「二次元萌え」というものがある。


人間ではない。生命活動を行っていない絵に対して恋愛感情を向ける事をそう言うのだが、これに関しては私は何もおかしいことではないと思う。


なぜなら、その絵はしっかりとしたキャラクターを所持しているからだ。


喜ぶし悲しむし怒るし、悪巧みだってする。自分の考えをはっきり述べるし対話もする。


人間とまるで同じなのだから、それに恋をしてもなんら違和感はないのである。


ただ、実際に触れる事はできないし、私と対話をする事は不可能である。というだけの事である。
(だからこそ傷つかないで済む、という効用もある)


日和号に対して、何の印象を抱かなかったのも、そういう理由からであろう。


日和号は人間の姿形を模してはいるが、人間的な性格を所有している訳ではない。


行動は全くもって機械的である。


だから印象に残らなかったのだろう。


人形を愛でるためには、私の心を投影しなくてはならない


逆に人間を愛でるためには、私の理想を押し付けてはならない。


この辺が姿形は似ている人間と人形の決定的な違いなのだろう。


二次元に走る人間を見下す人間がいるのも、そういう性質に拠る所があるのかもしれない。
(まぁ、実際は当事者がどう活用するかの問題だから、文句を言われる筋合いはないのだが)



日和号の外見の理由としても、四季崎記紀の心を投影したものであるそうだ。
(確かそうだったはず)


人間を人形みたいな扱ってしまう人間は絶対に嫌われるし、人形を人間みたいに扱おうとすると、どこかで虚しさを感じてしまうのではないだろうか。



人間は自分で考えて生きていく


昔の七花は日和号と同じだった。


それが七花が持つ、日和号への印象である。


何も考えず、ただ命じられるがままに行動していた。
(敦賀迷彩の時とか)


それを七花は日和号を見る事で強く認識したのである。


そしてそれは同時に、七花に人間としての情緒が発達している証拠でもあった。


それが吉と出るか凶と出るかは、なんとも言えない所である。


完成形変体刀は鑢七花を完了へと進めているのかもしれない。