「西尾維新/刀語_第九話_王刀・鋸」の感想、レビュー

スポンサーリンク


木刀対無刀の真剣勝負!

どこに真剣があるのかはわからないけど、真剣勝負である。


体は切れなくても、負ければ心はズタズタだから真剣勝負で問題ないという事にしよう。


なんで木刀の名前が鋸(ノコギリ)なのだろうか?


さっぱり意味不明である。


ノコギリは木を切るための道具である。なのに切られる対象である木の名前がノコギリってややこしい。



さて、今回は無刀の剣士が対戦相手である汽口慚愧の要求として、「真剣勝負で無刀とは何事か!」という申し立てによって、虚刀流であるのに無刀で戦闘を行う事ができなくなった、という所が今回の話である。



だから、虚刀流であるのに、刀を使って勝負をすることによって大変な目に遭う事になる。

本来ならば有利になる物を使用する事によって、不利になってしまう


そんな事があるのだろうか?確かにまるで呪いである。


剣士ならば刀を使用した方が強い。これは至極当然の事実である。


商売をするにおいて、資本はたくさんあった方が有利に経営を進められるのと同様である。



にも関わらず、そんな当たり前の法則を無視して、弱体化してしまう人間がいるのだとしたら、それはどんな条件なのだろうか?

自分の戦闘スタイルを崩されてしまう

という事が大きいのではないだろうか?


また商売の話で例えるのであれば、日頃からお金に恵まれていない人間の処世術や金銭のやりくりの方法というのは、恵まれていない環境をベースに行われている。


そんな状況が長年続いた後に、ようやく大金を手に入れたとしても、大金がある状況をベースに商売を考える事ができない。


なぜなら、自分は今まで長い間そんなスタイルで商売をやった事がないのだから。


虚刀流にしても同様である。


鑢七花は修行を開始してから19年間、刀を使用しない無刀の修行を行ってきたのである。


刀を使用しない生き方を19年間してきた。だからこその強さを獲得してきた。


そんな人間に対して、いきなり刀を使用して無刀よりも高いパフォーマンスを発揮しろ!というのがそもそも間違っているのである。


まるで呪い、というのは理解できなくもないし、修行の割には凡人よりも成果が出ていないという事実もある。


だが、「刀を使用しない努力を19年間してきた」のであるから、それは至極当然の事ではないだろうか?


卑怯卑劣だがコンビらしい良い戦い方だった


虚刀流としても万全の状態で勝負ができなかったのだから仕方のない部分は大いにあったので、その不足を埋めるための策略はコンビの良い味が出ていたように思える。



体は鑢七花、頭は奇策士の分担で勝負を行うのであれば、これに敵う相手はそうそういないだろう。
(とはいっても体担当の鑢七花は今回においては凡人以下だったが)



しかし、条件の悪い勝負に対して、いかにして勝つかという所にキャラクターの味がよく出ていたので、非常に楽しく読めた。