「西尾維新/刀語_第十話_誠刀・銓」の感想、レビュー

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自分の苦手意識と向き合う話

今回は真剣勝負的な展開はそんなにない。


というか全然ない、全くない。


今回斬るのは自分自身の心を斬るのである。


そういう意味では前回の汽口慚愧とも似通った部分があるかもしれない。


人は見たくないものは無意識でブロックしてしまう


人間が持つ素晴らしい才能の一つに「都合の悪い物は見えない」ようになる性質がある。


目の前に視覚を通して実際は見えている物体であったも、本人にとって不利益になる場合だと見えなくなってしまうケースは多々ある。


また、自分のとって都合の悪い事実は、解釈を無理やり捻じ曲げて自分にとって許容できるように改ざんして飲み込むような事はよくある。


私は私の心を守りきるために、心にとって大きなダメージを与えてしまう事は摂取しないようになっている。


その性質を本人が気づかないままに生活をすることが皆にとっての日常茶飯事だ。


都合の悪い事と向き合うメリット


苦手な物、不愉快な物、都合の悪い物。


それらは自分にとっては害悪であるから、飲み込まないのである。それの何が悪い事なのだろうか?

毒リンゴが食べられない人間に罪なんかない。


それと同様に苦手意識を克服する事というのは必ずしも正しい事ではない、と私は思う。


とはいえ、苦手意識をそのままにする、という事は「できない事はできない事のまま」ということになってしまう。


行動できない事は行動できないまま。

思考できない事は思考できないまま。


確かにそれでも本人がただ生きていく分には不都合はないだろう。

不都合から逃げても不都合はないだろう。

しかし、「強くなる、成長する、柔軟になる」といった観点から見れば、己の苦手意識をそのままにする事は大きなデメリットであり、それを克服することができればメリットになる。


要するに幅が広がるのである。

その苦手意識を奇策士は克服する事で思考の柔軟性を手に入れている。

目的を達成するためには、目的そのものを捨てなくてはいけない


なんだか矛盾したような話である。

目的捨てちゃったら目的達成できないじゃん。と思ってしまったりする。


奇策士としてもそちら側の考えのようで、苦手意識は克服したものの、目的を捨てるという考えは毛頭ないという結論が即座に出た。


しかしどうだろう、これを他の物事に例えてみるとどうだろうか?

例えば、「モテたい!」という目標を男性の方が強く志したとしよう。

でも、女性の方が一番嫌うタイプっていうのは「ガツガツした人」である。

これは結構長いこと言われているようであって、時代を問わない女性の共通認識かもしれない。


逆に「モテなくてもいいや」と気楽な気持ちで女性に接する人の方がモテたりする。


目標に対して肩肘張った態度で望んでもリラックスできないから高いパフォーマンスは望まれない。


目標を捨てる事によって柔軟に動く事ができ、目標を達成できる可能性も上がる、という説は理解できなくもない。


金銭に関しても同様である。

「なんとしてでもこいつをカモにしてやろう」と思っている人間に喜んで金を払うバカはいないはずだ。

自分のために尽くしてくれる、金銭度外視で接してくれる人間に対して金銭を払いたいと思う人の方が多いはずだ。


要は北風と太陽的な理論なんだろう。

理屈として正しくても、気持ちがそれを許容しない


理屈としては、「目標を達成するためには、目標を捨てなくてはいけない」という話もわからなくはない、と思った。


だが、復讐という強大な気持ち。そのためだけに今までどんな状況にも耐えてきた人間が、その気持ちを捨てる事なんてできるだろうか?


できるわけがない。

その気持ちを捨てる事ができるのならば、そもそもその目標を達成する意味なんてないのだから。


「モテなくても良い」と思っている人間がモテて何か意味があるのだろうか?

「金はいらない!」と思っている人間が大富豪になって何か意味があるのだろう?


「目標を達成するという気持ちを捨てる事」によって「目標を達成した」としても「気持ちの伴わない目標達成に意味なんてない」のである。


奇策士にとって、復讐心を捨てる事は不可能であるから、この話は論外なのである。