【寿命】死にたくないのに生き急ぐ【有限】

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時間を意識しすぎると、時間を存分に楽しめない

仕事を早く終わらせたい、仕事を終わらせて早く家に帰ってやりたい事をやりたい。

お金のために仕事をしていて、嫌々仕事をしているのならば極々自然なので別に問題はない。



家に到着して、家事をこなし一息ついたら、やりたい事を始める。


そんな時にもなぜだか焦燥感がある。「この本にどれだけの時間を掛けてしまっているんだろう?」と落ち着かなくなってしまう。


「今年一年の間でどれだけの本を読んだんだろう、全然読んでない気がする!」とか考えてしまって余計に焦り、読書のスピードを上げる。


まぁ、それでも多少は楽しい事には違いがない。そして読書を続けていればいずれは終わりが訪れる。



終わりは切なくて寂しいものなので、読んでいた本についても名残惜しい気持ちになる。


そんな気持ちも時間の経過と伴に吹き飛んでいき、また新しい趣味や遊びを見つけて、焦燥感と伴にそれを消化する。



こんな焦りの気持ちを抱えて何を楽しんでいるのだろうか?

どうしてそんなに急ぐのか

趣味や遊びについて「生き急ぐ」と表現するのは少々格好を付けすぎている感がないでもないが、それでもこんな事で生き急いでどうするのだろう?と思う。


これは仕事をしている人でも同様だろう。



「あと何ヶ月以内に何の資格を取得して、売り上げをいくらまで伸ばして、これだけのポジションを手に入れて、3年後にはこうしていなければいけない!」みたいな目標意識そのものは素晴らしいのであるが、目標に到達するまで焦燥感にかられて生き続けている人、生き急いでいる人は相当数存在するはずだ。


まるで、目標を達成した瞬間のみが私の生きる意味であり、その瞬間だけが幸福であると、考えているような人がいる。




時間は有限である。


それは確かにそうなのだけど、その意識を常に持ち続けてタイムコストを減らす事は商売においては大切なんだけど、それでも焦りで人生をまるっきりつまらなくてしてしまったら、なんのために努力と時間の節約をしてきたというのだろうか。




何のために生き急ぐのだろうか?


まぁ、この場合は「急ぐ」というよりも「焦る」というニュアンスだろう。


急ぐの悪くない。だがしかし、焦っていいことなんて一つもない。


100キロ続く道のりで幸福を感じられるポイントがゴールテープだけでは虚しいではないか。


100キロ続く道のりそのものを楽しむ事ができるのならば、道の途中で倒れても、ゴールテープを切れなくても、結構楽しいはずだと思うのだが、どうして焦ってしまうのだろうか?


現状がつまらないから、将来のゴールポイントにこそ楽しい事があると思い込んでるからこそ、焦るのだろうか。

それとも自分に残された時間が少ないと感じているからだろうか。


どのみち焦っても無駄なのは確かだ。