無意識の思い込みが現実の姿なんだから、心を守るための意識的な建物が必要なんだよ。

「分かり合えてる」つもり

姿形のないものを共有する。それはドラマだ。実際にはそんな事はありえない。


私自身が勝手に分かり合えていると勘違いしているに過ぎない。



そんな風に私は考えている。


本当の所の答えは、今後科学技術が発達して脳内を詳細に分析できるようになってからでないと、さっぱり証明なんてできないのだけど、結局私は私が信じている事しか信じない訳であるから、周囲の現象なんてものは案外意味がなかったりする。


だから、科学的に証明されました!なんて時代が来ても、私は勝手に私の妄想を信じていたりするのかもしれない。



それは良い情報でも悪い情報でもそうだ。


厄介なのは悪い情報を頑なに信じ込んで、まるで無駄でマイナスな行動を取ってしまう事なんだろうけど、それは周りの人間からの見え方でしかない。


本人からすれば、それはどうしようもないリアルな現実であり、自分の考えた理屈通りに結果が生じているだけであり、なんの疑いの余地もない。

見たいように見える景色

人は現実を見たいように見ている。


そう考えると現実ってのは理想的な気がしてしまうけれど、私の無意識が見たいように見ているだけであって、それを私が自在にコントロールすることは非常に困難だから、やっぱり中々大変である。


今、自分が抱えている悩みを解決できなくても、私の無意識が劇的な変化さえ起こしてくれれば、たちまち悩みは雲散霧消してしまったりするのが面白いのである。



その辺のテクニックなんかが宗教だったり、セミナーだったり、今流行りのサロンだったりするのだろう。
(とはいえ、選ぶ団体を間違うと余計酷いことになるので注意!)




人は集団の中の位置づけで幸福を決定してしまう傾向があるから、簡単に自分が一位になれるような集団に所属しておくと、それが万が一の時の精神安定剤になったりする。


環境を変えろ!と同時に大切なのは「とにかく自分の集団内でのヒエラルキーを上昇させろ」という事だ。


上を見ればきりがないし、下を見ても限りない。


だから世の中には屋根や天井が存在するし、死骸の類を土に返す事で自分の居心地の良い空間を作るのである。

どうせ全ては思い込み、ならば自分の理想の家を

皆で思想意識を共有する事は夢物語であるのだから、せめて自分一人が幸福になれるように、思考の家を自分で作ればいいのである。


「世界に共通する絶対な正しさ」なんて基準で思考を建築しようとするから、なんでもかんでも建築になってしまい、雨風台風家事親父の類がこれでもかという具体に襲い掛かって来るから、いつまで立っても精神が平穏を得られないのである。



家の中に逃げ込んで自然災害から回避する事は間違っているだろうか?そんな訳がない。


ならば思考の家を作ろう。

それがないのに寒いだ暑いだ辛いなんて愚痴を吐くのは理にかなっていない。