限定されたからこその爆発と、これから私がやるべき事について。いつの時代だって未来というのはそういうものなのだろう。

放出することがインプットになるのか

インプットなしで、延々とアウトプットを続けていたら、どうなるのだろうか?


限られた要素の中でも繋がりの強度や、繋がりの関係性なんかが変化していって、結局は新しい何かが生まれるのだろうか?



多分、そうなんじゃないだろうかと思う。


限られた要素、少ない要素ので似たような展開を何度も何度も繰り返す。そうやって人類や科学は進歩してきたはずだから。



だからやっぱり今日も昨日と似たような展開だったり、似たような内容の思考しかできなくても、それはあんまり悲観する事では無い気がする。


物事は少しずつしか変化しないし、表面的に大きく波打っているように見える何かでも、深層の部分はまるで何も変わらないなんてことはあるのだから、根気よく自分の内部を揺るがせるように日々己の脳内を熟成させていけたらいいなと思う。




私が毎日様々な訓練の類を行うのは、私が成長したいからだ。


ブログを書くの理由だって色々あるけれど、その中の一つは自分の能力を高めたいと思っているからだ。



でも、最近は人工知能という存在がいる。


あれは色々な意味で革命的であり、同時に厄介でもある。


まぁ、革命というのは往々にして厄介なのだから仕方がないのだけど。


何が革命なのかっていうと、人間だけが保有する能力を代替し始めた所。何が厄介なのかも左に同じ。

人の価値をどこに求めるのか

そんな革命が起これば、皆がどう考えるのか?


「自分の能力を高めても無駄じゃない?意味なくない?」という思考が絶対に起こる。


「努力は無意味だ!」という論調はこれから高まるだろう。



でも、あれってどうなんだろうな?と私は思う。


人間の能力を科学的な何かが超越することなんて、今まででもいくらでもあった事ではないだろうか?



人間より速く走れる何かなんていくらでも昔から存在した。

人間より速く計算できる何かだって結構昔から存在する。

これからは人間より速く思考できる何かが存在するようになるだけだ。


案外、ただそれだけのことなんじゃないだろうか?


人間より速く走れる何かがごまんとこの世の中に存在した所で、オリンピックは開催される。


もうその事実だけで私達の未来の平和は保証されたようなものではないだろうか?


それに、いくら人工知能が発達した所で、それをいくら活用した所で、私の能力が飛躍的に上昇した訳ではないのであるし、上昇させる喜びがなくなった訳でもない。

自己のベストだから喜ばしい

世の中に自分よりも遥かに速く走れる何かが存在したとしても、徒競走の自己ベストが更新できたのならば、きっと喜ばしいはずだ。


そんな簡単で当たり前の事が、これからも続くという話が人工知能なのではないだろうか。



来たる将来はいつだって強大に見えるし、必要以上に不安に感じてしまうものだ。


何の根拠もない大予言に人類が震撼していた民族も過去には存在したらしい。


要は不確定な未来はなんであれ不安で強大に見えるのが、人間というものなのだろう。


世の中が大きく変わった所で、私がやるべき事は大筋の所ではあまり変わらないのではないだろうか。