悪意のない悪、偶発的な悪、善意からの悪。それを許容できない割れやすく小さい器。

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偶然の悪

そんなの知らなかった!

そんなつもりじゃなかった!

あなたのためを思ってやった!



悪意を持って実行される悪なんて、実のところ世の中に存在する悪の半分にも満たないのではないだろうか?そんな事を思った。



だって純粋に悪を実行することについて快感を得る人間ってそんなに多くはないだろうから。


無知ゆえの悪だったり、成り行きでの悪だったり、人助けとしての悪だったり、人はどこかへ向かう途中に悪に遭遇してしまったり、目標のためにあえて悪を実行せざるを得なかったりするのである。


悪を目標地点とする人間は少ないのである。



それでも発生する。風が吹くのと同じように、雨が降るのと同じように、日が昇るのと同じように。



こんなのは言ってしまえば自然現象なのである。


にも関わらず、人は人の悪意に関してはその人の根幹の心から発生したものだと信じて疑わない。


日常的にその人から寵愛を受けていたとしても、1ミリ程度の悪をぶつけられただけで、今まで築き上げた信頼の器はいともたやすく砕け散ったりするのである。


その結果として、復讐という名の悪の応酬が始まる。そこから先にはもっと皆が理解しやすい悪が蔓延することになる。

人は善意に鈍感、悪に敏感にできている

どうにも人間は争うように、苦しむように遺伝子的にインプットされているような気がしてならない。


まぁ、昔は今みたいに豊かな世界ではなかったから、とりあえず近場にある何かを食料や財産に変換するために、無理やりにでも相手を悪者にするための回路が発達してきたのかもしれない。


「いやいや、これはあなたの心の底から発生する悪意ではないから、全く気にしないよ」

こんな精神は現代でこそ立派ではあるが、昔ならばやられたらやられっぱなしで、何の獲物を仕留める事もできず成果も得られずに死に絶える遺伝子であっただろう。


そういう意味では優秀な遺伝子というのは、何かの能力に特化した遺伝子というよりかは、その時その時に柔軟に適応できる遺伝子なのかもしれない。
(強いていうならば、柔軟性のある遺伝子こそが優秀なのか)



まぁ、そんなこんなで、そんな昔の生存本能が故の行動思考を継承したが故の悪意なのかもしれない。


だから、そんな些細な自然発生的な悪意に対して、いちいち気にしても仕方がないよ!やめようよ!みたいな発言をした所で無駄なのだろう。


正論が理想論であり、現実的でないが故に不快かつ不利益である場合なんていくらでもある。


よって、ストレス解消の場と同様に、悪意の放出の場も必要なのである。



野球場やプロレス観戦で罵詈雑言を投げ飛ばすのはストレス解消だ。


ならば、悪意の放出の場はどこに求めればいいのだろうか。

  • 思慮のない発言で皆を傷つける場
  • 自分の率直な意見が他人の心の傷に偶然クリティカルヒットしてしまう場
  • 正義感を振るって、悪みたいな何かに対して遠慮なく言葉の暴力を振るう場


なるほど。ネットで各地で炎上が発生するのも理解できるというものだ。