【消費は精神的満足感!】購入ってのは膨らんだ理想妄想を瞬間的に叶えた気分になることができる最高の手段!

消費活動は快感である

実際にやってないゲームやら読んでない小説やらが結構溜まってきた。


それなのに、まぁ買う。どんどん買う。アマゾンでポチポチしている。


買った瞬間が気持ちいいんですよね。なんか。


理想や夢が叶った時の感じを薄めたような感覚だろうか?情報ってのは少量の方が大きく膨らんだ幸福な何かを脳内に刻みつけるから、その思い描いた理想がボタン一つで簡単に入手できるというのは非常に大きな快感なのだろう。



そんなこんなで消費活動である。資本主義社会の言いなりである。


で、実際自宅に商品が到着すると何か様子が違う。いや嬉しい。確かに嬉しいのだが、手に入って嬉しいって所でストップしてしまうのである。



いや、ストップならばまだいい。いつか再開するのだから。でもどうだろうか?これは言ってみれば化石になってしまったようなものである。


まぁ、化石だって頑張ればある程度までは復元するのだろうが、それでもそれには大きな労力が掛かるし、思い描いた理想と同じような幸福感がそこについてきているわけではない。


積みゲーだとか、積ん読なんてものはこういったことなんだなぁ、としみじみ思って血と汗を流して手に入れた金を無駄にする。


ゲームはやらなければ固くて食べられないドーナツ状のキラキラした何かである。外にぶら下げて風通しを良くするくらいしか使いみちがなくなる。要は無駄。


本は読まなければ、黒い模様が付いた紙である。しかも破りにくいから使いにくい。しかもメモを取るにも既に黒くなっている箇所があるからメモ帳を買った方が良い。要は無駄。

浪費に意味はあるのか?

何事も行動しなくては意味がないのである。そんな事はわかっている。


でもしかし、それでも購入する事が止められないということはそこにやっぱり何か意味はあるはずだし、その意味の本質を抽出して効率的にその欲求を満たすことができれば浪費癖はなくなるというものなのだ。



つっても、どうして使わない物を購入するのか?なんて理由はさっき述べたのか。


「過剰に膨張した理想を叶えた気分になれるから」


これが理由なのだった。


なんであれ理想だ。叶えて気分の悪い物ではない。



しかも理想の膨張工作に関しては、色々な企業がこぞって行っていることなのだから、そこに苦心する必要はない。



だからもういいんじゃない?使う事は諦めて購入する事こそが商品の価値なのだと考えてしまえば。


溜めて溜めて溜め込んだら、いつか猛烈に消費してくなる日が来るかもしれない。


そんな感じでいいんじゃないだろうか?


購入だって立派な趣味だ!


ってな感じで今日もなんかしらの、あんまり使わない何かを購入するのである。