「ブログのアクセス数を気にしない!自分の感情を伝える事が大事!」とか言っている男は絶対にモテないし、そんなに社会的な成功は得られないと思う。

自分の無意識と向き合うってのは相当な体力がいる

いやさ、私の事だけどさ。


まぁ確かにブログを書くことが感情の発露になっていて、ストレスが発散されるっていう結果が生じている事は本当だし、それを目的にしている事も確かだ。



だが、それだけじゃない。というがそれが一番の目的ではないはずだ。


自分の無意識から本音を取り出すっていうのは、自分にとって都合が悪ければ悪いほどにセキュリティレベルが上がる。


「やりたいのにできない!」


それについての欲望が大きければ大きいほどに人は鍵の強度を厳重にしてしまう。


結果として、自分の欲望と向き合う事もできずに、「俺、なんのために生きてるんだっけ?」なんて事態になってしまう。

じゃあ無理やり鍵を開ければいいの?でも大切だから鍵を掛けたんだよね?

とはいっても、心のセキュリティレベルの高い鍵を無理やりこじ開けて自分の欲望を解放した所で、その欲望を実現することができなければ余計に痛い目に遭ってしまうことは目に見えているのだけれど。


そう考えるのならば鍵を掛けることは別に悪い事ではないのだろうし、非常に妥当な判断であると言える。



だとするならば、己の無意識の欲望から目を背け、自分が達成できそうで自己正当化ができそうな事柄こそが正義だと思う込むって事は精神衛生上にはとっても優しい事なんだよね。じゃあそれって悪くないじゃん。



自分の欲望を解放しろ!とか、綺麗事に逃げるな!なんていうのは正論かどうかは不明だが、間違いなく暴力的だ。


この世の全ての人間が勝者となる事は不可能なのだから、敗者なりの勝利を見出す事くらい許すべきではないだろうか?

一直線に逃げろ!安全な所で体制を立て直してまたレベル上げ。これRPGの基本。

だから、周囲の人間に害を与えない範囲内であれば、どんどん綺麗事や嘘っぱちに逃げ込んでもいいと思う。逃げ込んだ穴蔵で精神的な体力をゆっくり回復させてから、自分の深層の無意識という名の難易度の高いダンジョンに挑むことはむしろ戦略的勇敢さを含んでいるのである。



さて、よって現状勝てない人間がやる事っては、どうやったって今のレベルのままでは勝てないようなボスに、装備も変更せずにレベル上げもせずに、HPもすり減らしながら何度も挑戦する事ではなく、己の能力を向上させることにある。


きっとボスキャラや取り巻きのザコキャラ達は「敵前逃亡する奴なんて絶対将来成功しないぜ!自分の無意識に蓋をして心を守ろうとするなんて男として終わってるぜ!」なんて軽口、挑発を行い、相手のHP、能力が低い内に何度も戦闘し勝利し打ち倒そうとするだろう。


そんな相手の戦法に騙されてしまう奴はその時点で本当に敗者になってしまうんだよね。


だからタイトルを読んでムキになって無闇矢鱈とがむしゃらに挑戦しよう!なんて気分になってしまった人は、もう一度冷静になったほうがいいんじゃないかなと思う。

メシを食え、そんで幸せになったらいい。

とりあえず美味しい物でも食べて心を落ち着けたらいいよ。