自分の人生経験に過剰な特徴が見出だせないならば、能力面において過剰になるしかない。

この記事でのブログの定義

ブログ。

ブログの定義ってのは大分様変わりしてきたんだろうけれど、今回の記事でのブログの定義は「自分の思想や経験、今までの人生や日常なんかについて思うことを記事にする媒体」という事にする。

ブログでの成功要因

ブログで成功する人間ってのは、他の人に比べて異常に異常過ぎる人生を生きてきた人達だ。


日本一周したとか、世界一周したとか、とんでもないブラック企業に入ったとか、就活でとんでもない目にあった時、ものすごいモテたとかモテなかったとか、家庭環境がスゴイとか、新しい生き方をしているとか、逆に虐げられている立場であるとか、人生を諦めたとか、そんな感じ。


そんな中々世間ではお目にかかれないような人達の思想や日常を覗いてみたいと思うから、実学的な意味なんてない記事でも、一日何万アクセスなんかを叩き出してしまうのである。

動物園にはどうして人が来るのか?

例えは悪いけれど、動物園に行って金を払うようなものなのだろう。


別に猿だかキリンだかがご飯を食べて寝てたりする所を観察したって、金策が身に付く訳でもないし、お腹がいっぱいになる訳でもない。


「あぁ、世の中にはこういう生き物がいるんだ、面白いなぁ」


こんな感情を得るために人は動物園に行くのだろう。


多くの人がブログを見る理由もそれに近い。


「あぁ、こんな人間はこんな考え方をしてるんだ。」

「へぇ、こんな環境に育つとこういう行動を取るんだ。」

「こんな生き方をすると、こんな事があるんだ」


ブログが動物園に勝っている点は、人間が観察対象であるが故に、思考や生き方を真似てみることができる点である。

動物園がブログに勝っている点は、猿とキリンは違う生き物なんだと無意識的に明確に認識できて、下手な人生に足を突っ込んだりしない点である。

凡人がブログらしいブログで成功するのは無理

ブログらしいブログで多くの注目と人気を得るためには、どんな方向であれ途轍もない人生経験をしなくてはならない、ということである。



だから、極々平凡普通な人生を歩んできた人間がブログで人気を得るためには、ブログらしくないブログを書くしかない。


俗に言う、「お役立ち系」って奴を極めるしかない。


それならば、普通の人こそが普通の感性で普通の人のために記事を書く事によって、大衆大多数のアクセスを一心に集める事ができるのであるから、成功の可能性は異常な人間よりも遥かに高い。

自己分析に感情が伴ったらダメだと思う

もしも自分がどうしようもなく普通の人間であることに絶望しているのならば、もっと果敢に普通を極めるべきなのである。


普通の人間が何を考え、何を求めて、何を嫌うのかを十全に知り尽くしている人間は、普通の人間の上に立ち、芸術的ではないにせよ成功し、多くの金銭を得るだろう。


言うならば、どうしようもない凡人というのは、どうしようもなく凡人であるにも関わらずそれを認める事ができずに特異な人生をただ夢見て凡庸に生きる人間のことなのである。


「自分らしさ」なんて綺麗な感じで自分を理解しようとしないで良い。


自分という存在を無感情に見つめ直すことが自己分析であり、鋭利な部分をただただ機械的効率的に鍛え上げる事こそが成長である。