運の向上を望んでも仕方ない気がしてきた。逆説的に現状を思いっきり肯定することが開運のポイント!

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望んだ時点で無いことが明らかになる


運を良くしたい!って願望はわかるよ。


でもさ、運が悪い人間が幸運に恵まれる道理なんかないんだから、「運を良くしたい」って願望は叶う訳がないわけだ。


それが叶う人間が仮に存在するとなれば、それは「運が良い人」だ。良い人がさらに良くなる場合はある。


しかし、ない人がそれを求めた所で無理な話なんだよね、やっぱり。


さらには「ない事を意識」すると余計にない現実が現れてくるから、何かをただ願うってのは余計に自分を苦しめる結果になってしまったりする。


恋人を望めば孤独な自分が浮き彫りになる。

お金を望めばお金がない事を自覚してしまう。

何を捻じ曲げるのか?脳内回路なら可能かもしれない。

だから巷で有名な引き寄せの法則なんかは、「今自分の欲望が叶った感じで思考しよう!」みたいなアドバイスをする訳だ。


アレってどうなんだろうね?


理屈としてはすごく面白いと思うけれど、思考で現実そのものがねじ曲がるとは思えない。


曲がるのは自分の性格と現実への解釈だけだと思う。


だから引き寄せの法則的なものはオカルトのジャンルから脱出することができない。


とは言えども発想は物凄く素晴らしいのである。


現実への解釈を変えるというのは、どう頑張っても変わらない現実への唯一の対抗手段と言ってもいい。


現実が痛い物なのならば、私は痛いのが大好きになろう!という発想は奇抜であるが誠実なる対抗手段である。


または自分が底辺の人間だと思うのならば、自分よりもさらに低い人間を血眼になって探してそういう人達を心の中で見下す、というのも褒められたものではないが、それでも有効な生存手段だ。


てこでも動かない巨大な物質を変えようとするよりも、風が吹けば飛んでいくような自分の脳細胞を動かしてやった方が楽である。

本当の幸福は私が決める

本当に世間の言う幸福が正しいなんて保証はないのだ。


実は世の中が言う幸福なんてのは、悪の組織が裏で糸を引いているだけの話で、本当は酷い不幸の吹き溜まりかもしれない。


だからこそ、世間の言う良さって奴からかけ離れている人間の方が、実は本当に幸福なのかもしれない。



よって、私は運が良い!

そういう風に決定付ける事も脳内の解釈を変える事ができれば可能である。


そして、そんな世間からずれた考えを持つことだって、別に周囲に迷惑を掛けない限りなら問題はないだろう。


どうだろうか。金持ちが疎まれ妬まれ「どうせあの人は悪い事をやってきたのよ」とか「金持ちってのは孤独になるもんさ」とか言うように、自分の存在とはかけ離れた状態の人間を無理やり地に貶めるように、自分を空高くまで上昇させてはどうだろうか?




それで幸福の出来上がりだ、幸運の完成だ。



自分の信念を固く信じて、その道だけを突き進んで、それこそが絶対に正しいと思う事ができるのならば、世間の言う所の良さなんてのはまるで気にならないし、その道を突き進んでいる状態ならば、本人は間違いなく幸福幸運の絶頂にあるのだ。

「これでいいのだ」の心境こそ幸運である


だから私はそのままで良い。


何も変わらなくて良いし、何もしなくて良い。


ただひたすらに、私はこれでいいのだ。と考えてみるといい。



今の現状を肯定できる人間が幸運者である。