【挑戦】蓋を開けてみたら、なんだこんなもんかって事もある。【やってみた】

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やってみてわかったことが何もなかった時


やってみなきゃ、わからないじゃないか!


そういって人は新しい何かに対して向かっていき、経験値を高めたり成長したりする。


「何もしない事こそがリスク」ってのは確かにその通りで、休息は大事だがそれはどこかに向かうためのエネルギーを貯蓄するための行動であって、何もしないために休息を取っても、まぁ何も楽しくないし得るものはない。



やってみたら、案外楽しかった!


よくある話である。

人間の想像ってのは種を一つ与えただけで恐ろしい程に膨らんでいくものであるが、現実という水を掛けるとこれまた恐ろしい程に姿を変貌させる。


理想とリアルの掛け合わせはまるで化学変化のようである。



些細な事でもやってみたら人生観がまるっきり変わって、今までの生活からかけ離れた人生を送ってしまったりする。
(まぁ逆の例もあるけれど、大概の挑戦はプラスに転じると思っている)

だからこそ新しい事をするのは良いことだし、環境を変える事もまた良いことなのだ。


でも、そうでない場合だってある。




とんでもないプラスでもなく、酷いマイナスでもなく。


ただ単純に「あぁ、なんだこんなもんか」って呆気なさを伴って挑戦が終了してしまうケース。

妄想は肥大し、現実はそれを引き締める


毎日の妄想を積み重ねてきた結果、とても大きく膨らんだ妄想が、現実という要素を与えられる事で、一瞬にして小さくしぼんでしまう。



その姿は、水を掛けられたプードルみたいな感じである。あのフカフカで可愛らしい姿の犬が、実はその表面の密度の低い毛によって構築されていた事を瞬時に悟らせるように。



そんな時に遭遇してしまうと、ふと考えてしまう。

「あれ、挑戦しないで綺麗な妄想だけを抱いて幸せに生きていた方が良かったんじゃないか?」と考えてしまう。


多分、誰にだってあることだろう。


誇張表現に満ち溢れた宣伝広告に毒されて、異様なまでに肥大した妄想が一瞬にしてゴミカスへと変わる瞬間は。


現代社会は、映像技術と煽り方と周囲の人間との連鎖反応による、誇大妄想化が容易にできる時代であるから、こんな現象は非常に発生しやすい。

とはいっても蓋を開けねば始まらん

そんな呆気にとられるような体験をすると、挑戦する意欲がごっそりを奪われる。


良いとか、悪いとか、そういう評価ではなく「何もない」という体験はそれについての回路を根こそぎ刈り取ってしまうような暴力性がある。



まぁ、そんな体験をしたって結局は退屈に飽き飽きして、いずれはまた挑戦するのだけれど。


一つの場所に留まることはよっぽどの意志がなければ不可能なのである。だからこそ継続は力になるのである。


なんであれ、蓋を開けてみなければ話は始まらない。