バグで何時間も悩む事は無駄な事だろうか?

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バグに長時間費やしてしまう場合もある


プログラムを組む時。

そんな時に誰もが経験した事があるだろう。


「コンパイルが通らない!」

「原因不明のフリーズが!」

「想定された動作にならない!」



この類のバグやエラーは、自分でちょこっと調査してスッキリ納得して解決する事ができれば、非常に良い勉強になるし軽い爽快感も発生する。



だがしかし!


そんなに簡単に解決しない場合も結構ある。

そんな瞬間は予想もしない時にやってきて、帰宅の時間を遅くなる。


それだけならば、まだ軽い方だ。


まさかの休日出勤にならないためにも、何が何でもこのバグは取りきってしまいたいものである。



当然ながら、バグは無い方が良い。


だから、「バグで悩む時間は無駄である!」と言い切ってしまう事は果たして正しいのだろうか?

バグは精神的にも辛い


バグは時間的にも大きなリスクとコストを発生させるが、それだけでなく技術者の精神的ダメージが恐ろしく大きい。


何故ならば、終わりが見えないし、情報が整理できていないと「何をどうやったらいいのかわからない」状態になってしまう。

困難なバグは初心者の情報技術者にトラウマを植え付けてしまい、最終的には退職の原因になったりする。


さらには、なかなか解決しないバグはいつまでも周囲の人間に相談している訳にも雰囲気的にもできなくなってくるので、自分一人で頭を抱え込んでしまう機会が増える。それはとんでもない苦痛であり孤独である。

  • 終りが見えない
  • どうすべきなのかわからない
  • 孤独感を与えられる


人間を追い込み苦しめ挫折させる要素がバグには密度たっぷりに凝縮されている。

バグは技術者を成長させるのではないか?

人は困難に直面して成長する事が多い。


できる事を何度も繰り返しても「できた事ができる事」は当然の事であるし、何の成長にもならない。


しかし、「何時間も悩むバグ」は今までの自分ではできていない事であり、これからできるようになる可能性を多いに秘めている。


周囲に天才プログラマーがいるかもしれない、周囲に優しい上司がいるかもしれない。


だけれど、自分自身でちゃんと苦しんで成長できる機会として、バグは最良のものであると思う。


バグがあれば使用しているプログラム処理は細かく理解し確認するだろう。

バグの内容について何パターンもの予測と評価ができるだろう。

バグが解決できれば自分のスキルに少し自信が付くだろう。


そう考えるとバグに悩む事は無駄ではないと思う。


解決したから、反省しないで「はい、終わり!」ではどうしようもないが、論理と記録と推測の能力を鍛えながら解決する事ができれば絶対に大きな力になる。