「良い人なんだけどね」って言われた時点で、もう明らかに人間関係を見限られているんだけど、でもそれでもいいんじゃないだろうか。

社交辞令ってのは壁を作る行為でもある

そこを自覚しないと。


良い人なんだけどねって言われて何かを拒否されたら、

  • 自分は何かその人に対してマズイ要素を持っている
  • 尚且つそのことを自分に伝えられない理由がある

からこそ、良い人なんだけどね、と言われてお茶を濁される。


要するに、この言葉を言われた人というのは、ある程度その人から人間性やらなんやらを諦められている、ということだ。



改善の余地があって、それを真摯に受け止めてくれるような印象を持たれていれば、その点を指摘してくれる事の方が多いだろう。
(まぁ、当人が極度のめんどくさがりの可能性もあるから一概には言えないんだけれども)



にも関わらずその人にやんわりと自分を遠ざけるような言動を取るという事は、その時点でその人との人間関係というのは凍結してしまったようなものである。


別に通常の生活までもが侵食されるということではないにせよ、さらなる進展の見込みは少ないだろう。


「嫌いは好きの裏返し、ホントの嫌いはさようなら」

というマツコデラックスの名言が言うように、嫌いすらも言ってくれなくなった時点でその人達の人間関係は終局凍結を迎えている事は明らかなのである。

でも争いにならないだけでも、良かったんじゃないかな

まぁ、でもそれでもいいのかな、なんて私は思っている。



社会で生活する上で誰とでもどんな人とでも仲良くするというのは、全身が全方向から引きちぎられる位の苦痛であると思う。

自分の人格性格はある方向性を持っているのに、それを全方位に対応させようとすることがそもそも無理な話しだからである。



だからこそ、憎しみ合わずに戦わずに「良い人なんだけどね」というストッパーを付けて、余計な争いをこれ以上産まないようにする処置というのは現実的であり非常に有用である。


これが「人間は話し合えばどんな人とでも通じ合うことができるんだよ!できない奴は努力が足りないクズなんだよ!」なんて言う理想論を押し付けられてしまったら、社会中は罵詈雑言と怨嗟の声が今以上に溢れかえってしまう事だろう。





という事なので、「良い人なんだけどね」と言われたらショックを受ける必要なんてものはなく、単純に「あぁこれ以上争いが起きなくて良かったな、違う人間同士でも許容できる人で良かったな」と気楽に構えるのが肝要であると思う。



そらまぁ、自分が所属するコミュニティの人間全てにこの台詞を吐かれたのならば、多少改善を試みた方がいいかもしれないが、ある程度の分量ならば、自分に味方してくれる人間が少数でも存在すれば、いいんじゃないだろうかと思う。



「良い人、どうでもいい人」という無関心さは自分の存在意義の消失させるという点では有害であるが、平和に社会生活が送れるという点では有益である。