何が書きたいのか全然わからないけど、単純にひたすら文章を綴りたい時だってあるんだよ。

毎日毎日同じことの繰り返しで、生きてる気がしないんだよ!


最近同じ事ばかりやっている気がする。仕事が退屈だと結構キツイですね。まぁ忙しいのもキツイのですが。



仕事ってのは遊びと違って、自分が好きなように「さぁ、今の仕事は辞めて、他の事業に乗り出してみようか!」みたいなノリで行動することはできない。



誰かの駒になる事を条件にサラリーマンは給料を得ているのである。よって自分が思うままに自由に行動することは基本的に許されていない。


お金によって縛られ何かを成そうとしても時間と才能が不足していては仕方がない。だから仕事を辞めて思いっきり特化して価値のある人材になろうという考え方は勿論アリだと思う。ただ、リスクが大きいだけだ。



いくら自由な時間があっても、それが金銭の消耗による焦燥と、時間を有意義に活用できないからこその退屈に変換されてしまう可能性は、凡人とってはとても高いものだから、自分の才能とよく相談してから決めるべきであると思う。



人間ってのは、今ここから飛び出したいと渇望するんだよな。飛び出した先に何か素晴らしい未来が待ち受けていると思うんだよな。だから苦労して辛抱して成長して進歩するんだろうな。


どこまでも遺伝子の言いなりになるのが生命である。自分の意志なんてのは遺伝子にとって繁栄確率の高い方向だったりする。



自分の肉体の健康だけが最上の幸福だと本当に本人が確信しているのならば、子どもを産んで育てたりはしないだろう。子どもを産んで自分の遺伝子を後世にまで生き延びさせる事こそが幸福だと人間の体にインプットされているからこそ、今日も幸せの仮面を被った不幸へとダイビングするのである。

遺伝子と私のシンクロナイズドスイミング


まぁ、遺伝子の幸福こそが私の幸福!と完全に自分自身を統一させる事ができている人はなんでも幸せだったりするだろう。


アクセルとブレーキを両方同時に踏んで、軽やかに思うままにどこかに向かうなんて無理だから、きっとどこかで何かを諦める事は大切なのだろう。




怠惰な幸福ばかりを追求しても、最終的に俺の人生なんだったんだろう?みたいな感じで終わってしまうだろうし、時には遺伝子に流されてみるのも悪くはないのかもしれない。





いや、人生ってなんなんだろうね?ホントに。


大半の人間はお金さえあれば、仕事から解放されて毎日やりたいことがやり放題だから幸福になれる!みたいな思って、毎日の幸福をほったらかしにして全速前進しているのだけど、本当に我々が目的としているゴールの先に幸福が待ち受けているかどうかは思案すべきである。


とはいっても難しい話ではあるのか。


現状がまるで幸福ではない!という感覚に支配されているのであれば、どこかにある何かはもっと今より幸福に違いない!と考えなくては人生に希望も夢もなくなって、生きててつまらなくなってしまうだろうから。



生きる意味がないからと言って、人は簡単に死ねる訳ではない。死にたくないから無理に生きる理由を見出す人がいるくらいに死の恐怖は強大だ。




さて、そんなこんなで今日も私は遠いどこかに夢を馳せるのである。夢を追い求める、というよりかは現実から逃れるために夢を見るって選択肢もあり、なんじゃないだろうか。



騙し騙しでも思い込みでも、不幸でも苦労しても、暇でも退屈でも、人は何かを絶対に達成するし、その裏側にある何かは決して入手できないのである。


100%コンプリートクリアはゲームの中の話だけだ。現実は1%もまともに体験経験することなくゲームオーバーである。




だからこそ、今現在の道中を歩くことに喜びを見いだせると良いのだが。