意識高い系の人間が嫌われる原因てのは色々あるけど、気持ち悪い理想を押し付けられた気分になるからってのも、その一つかと

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意識高い系とツチノコの生態

意識高い系ってのがいるらしい。なんか炭酸水飲んだりするらしい。コーラの方が美味しいのに。


会う度、話す度に成長や気付きを繰り返しているらしく、何事も自分を大きくさせるバネであるそうだ。


奴らは他人の自堕落について、酷く厳格であるそうだ。なんでも生きている限りは前を向いて人類の幸福や自己の夢の達成のために走らなくてはならないらしい。



まぁ、そんな人にまともに会ったことがないからわからん。ツチノコはこんな感じなんだよ!みたいな情報をまとめてみただけである。


ツチノコってのは実際にどこにもいないけれど、皆がその姿を漠然と捉えていて、そいつについて話題の花を咲かせることができるという貴重な存在だ。意識高い系という存在もそうであればいいのだが。




だから今から私が話すことはツチノコについて話すようなものだ。


存在しないかもしれない何かについて語るのであるから無意味かと思われるかもしれないが、実は無意味ではない。


ツチノコについての話が盛り上がるだけで、コミュニケーションの輪ができるし、傷つく対象がどこにも存在しないし、なにより架空の存在について語ることによって自己を多角的に観察する機会が増えるのである。



行動よりも理由が評価されるのであれば、行動の羅列ではそれを説明したことにはならない

意識高い系ってのは実際なんなんだ。


行動はわかった。


炭酸水飲んだり、周囲を先導しようとしたり、前に進んでいることを何度も確認したり。


そんなことをする生き物だとわかった。


ならば、どうしてこの人達はこんな行動をするのか?それが肝である。


人は辿り着きたい場所があるから歩いて行くように、何かをするってことは何かを達成したいってことだ。


だから、その行動についての理由が大切になる。


複数の行動から、できる限りの理由を推測してみて、多くの行動から共通して見出される理由を垣間見る事ができた時、やっと意識高い系ってのは何なのかを知ることができる。


行動だけでは人は理解できない。


「いっつも悪い行動をしている人は、本当は辛い思いをしている子供達を助けるために行っていたんだ!」

みたいな事実が発覚すると、「あぁ、本当はコイツは良い奴だったんだ!」って大概の視聴者はなる。


要は理由こそがその人の本質を表すと、多くの人間は考えているのだ。


意識高い系の行動から予測される本質


まぁ、これは予測である。


一つの何かを見ただけでも、人によってまるで見え方が違ったりするのだから、その辺はご愛嬌である。

結局は、自分というメガネを通す以外に何かを観察する手段なんてないのだから、致し方ないのである。


炭酸水飲んだりする
→他人と違う何かを飲みたい、そして健康的でありたい、でも水道水じゃダメ、だってカッコよくないから。


会う度、話す度に成長や気付きを繰り返している
→自分は常に前に進んでいる存在だと認識したい、成長している自分を皆に知ってもらいたい。


他人の自堕落について、酷く厳格である
→全ての人間は社会に貢献しなくてはならない。そして自分は啓蒙して社会から崇められたい。



冒頭に挙げた特徴を自己解釈するなら、こんな感じだろうか。


「社会的成功を収めたい」

「社会生活においての理想的な姿を体現したい」

「カッコつけたい」

みたいな感じだろうか、意識高い系がそういう行動を取る理由は。


意識高い系が嫌われる原因の中の一つ

さて、では上記の理由を持ってどうして意識高い系が嫌われるのか?


それは「社会に依存した薄っぺらい上っ面だけの格好良さを信奉していて、それを周囲に押し付けようとする所」ではないだろうか。


20歳を超えた人間が、幼児教育番組のヒーロー像を皆に押し付けているような、そんな感じ。


そりゃあ、みんな引くし、面倒だと思うし、気持ち悪いと思うよな。


本当のカッコよさなんて人それぞれなんだけど、あまりにも「おとぎ話的で真っ直ぐ過ぎる」のって、逆に違和感がある。


サラリーマンってのはメガネを掛けて七三分けでいつもペコペコしている、みたいなイメージがあるけど、実際今の世の中にそんな人間全然いないし、いたら絶対珍獣みたいな扱いをされるだろう。




おわりに


ヒーローには憧れるけれど、ヒーローごっこには憧れない。


理想の姿を体現しようとすることは素晴らしい事なんだけど、行動だけでは何かの本質を表した事にはならない。


多くの人がそう考えているから、意識高い系ってのは嫌われるのかなって思った。