秘かに主導権を握ることこそがコミュニケーション能力である。

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社会的人間関係において最重要であること


人間関係っては繋がりである。


それは二次元ではなく、三次元で表した方が正しい。


しかし、上辺では二次元的な横の繋がりばかりを強調されることが多いから気づかない人もいるのだが、やはり人間関係は三次元体だ。


つまりは単純にお互い様、おあいこ、平等って訳にはいかない。


手を繋いで、肩を組んで、仲良く微笑み合っていても、二人の内のどちらかが偉くて主導権を握っている事の方が圧倒的に多い。


主導権を握られている方からしても、それを認めたくはないので、そういう体を振る舞うだけの話だ。チャンスがあればすぐに鬼の顔を見せる、マウントを取る、でかい顔をする。それが人間関係の基礎である。



どちらかが主導権を握っていても、それに見合うだけのメリットを服従側に与える事ができるのならば、それは非常に健康的な姿である。


だがしかし、そんな社会は不健康である。いつだって表面や先端を綺麗に見せるために、内部構造は歪んでグチャグチャになっていて、薬や思い込みでドーピングしてなんとか今日を耐え忍ぶ存在である。


つまりは、主導権を握る者こそが絶対なる勝者であり、大半の利益を根こそぎにする。


手に入れれば手に入れる程にもっと欲しくなるし、手に入れた何かは皆に見せびらかしたくなるから、余計に主従の差に開きが出る。



人間関係の肝は兎にも角にも主導権である。


それを意識しないで平和な関係が紡げる環境というのは、金も地位も権力も異性も一切絡まない世界だけである。だから子供は誰とでも友達になれるし、その数も膨大だ。


ボールと主導権


球技がわかりやすい例だろうか。


誰かからボールを奪い取ろうとする時に、いかにも「奪ってやるぞ!」的な態度で力強く強引にボールを奪おうとする場合と、相手の力が抜けている時のスキを狙ってボールを奪うのは、どちらが簡単だろうか。無論後者だ。



人間関係においても同様のことが言える。



無理やり主導権を握ろうとすれば、相手はそれを頑なに拒否する、否定してくる、攻撃してくる。度を越せば関係そのものが破壊されてしまい、ゲームが成り立たなくなってしまう。



人間関係においてのボールは、相手を弱らせて、優しくこっそりと奪い取るのが正しい。


それに成功したならば、今までの関係が嘘のように、相手はこちらに向かって媚びへつらいの満面の笑みを浮かべてくることだろう。

だからこそ、秘かに


私の思いは誰にも悟られてはいけない。目的が明白な人間の行動を許すほどに他人は寛容ではないからだ。

私は誰からも警戒されてはいけない。誰が恐れている人間に主導権を託すだろうか。

私は優しさや威厳を振りまかなくてはいけない。人は依存できる人間にこそ主導権を渡すのだから。


これを自然に実行できるからこその、主導権、信頼である。


これを上手に実践する人間がコミュニケーション能力のある人間である。


笑顔、優しさ、決断力。


それが何故必要かって言うと、つまりはそういうことである。