【京極夏彦/ヒトでなし】「ヒトでなし」とは感情と己の意志を捨て、あるがままと純然たる論理を貫いた姿である。【感想/レビュー】

感情と意志を放棄して、純粋に人を批評する存在


お前はヒトでなしだな!

そんな風に誰かに批判されれば大概の人は嫌な気分になる。


だが、ヒトでなしは違う。

彼らはただ、「あぁ私はヒトでなしなんだな」と単純明快に納得するだけである。そこに感情の波は起こらない。ただの事実として純粋に受け入れるだけだ。


なぜなら、ヒトでなしは感情と己の意志を捨てて、人間の形をした機械のように、人間の心情感情を観察し分析し的確な正論を吐く。


その正論は、人にとっては絶対的な真実であったとしても、いつもは感情や信念という防護壁に守られながら己の深淵を覗こうとしない人間からすると、あまりにも強烈でクリティカルな攻撃になってしまうが故に、人に対してそれを向けるとまず間違いなく相手の憤怒や絶望の感情を呼び起こすことになる。


それが故に呼ばれる。「ヒトでなし」と。


そのヒトでなしの行動は、ありのままを純粋に論理的にバイアスを掛けないで公正公平に全ての人間を一律一様に批判し裁き続ける。


そういう観点において、ヒトでなしは神様に近しい存在へと昇華される。

綺麗事のオブラートでは救われない人達がいる


相手を褒める事は容易い。なぜなら嘘でも相手は喜んでくれるからだ。そして褒め言葉なんてものはパターンがある程度確立されているから、テンプレートの中から適当な台詞を適当な話のタイミングで投げつけてあげれば、大概の人は喜んでくれる。


だが、そんな単純な行動では救われない人もいる。


絶望している者、失望している者、悲哀に満ちている者、苦痛を味わい続けている者。


そんな艱難辛苦を存分に受け続けている人間からすれば、うわべだけの褒め言葉など、焼け石に水を注ぐようなもので、まるで役に立たない。


そんな時にこそ、ヒトでなしは存在はより一層、暗い光を輝かせて、ある種の救世主となるのである。


死にたい人にさっさと死んでしまえと言える人間

クズを徹底的にこき下ろす事ができる人間

絶対的な悪人までをも中立的に公平に扱う事ができる人間


そんな事を平然としてのける「ヒトでなし」が圧倒的なカリスマ性を持ち合わせるのは自明の理である。


「自分が何者であるか」ということに気が付いて自覚してからが本領発揮


ヒトでなしは最初からヒトでなしであった。

しかし、ヒトでなしはその効力を最初から存分に発揮していた訳ではない。


自らをヒトでなしだと認識したからこそ、当人の本分を発揮することができるようになったのである。


己の本質に気づけたからこそ、神に近しいヒトでなしになることができたのである。
(とはいえ、今作では本人が誰かを救う事を望んでいた訳ではない)


あるがままを観察する事ができるようになるからこそ、人は一歩、神の領域へと近づくのである。



それは情を捨てることであり、己の意志というバイアスを削ぎ落とすことでもある。