もう二度と会わないからこそ、優しさをばら撒ける!

スポンサーリンク

優しさの代償

「人に優しく!」

とってもいい言葉である。人に優しくすれば大概の場合の喜んで貰えるし、いずれ恩返ししてくれる事が多いから回り回ってお得な感じになる。

優しさは集団のコミュニケーションを円滑にするし、自尊心の向上や存在意義の確立なんかを促進してくれるのであるから、変な薬に頼って自分の精神を立て直そうとするよりかは、無料でできる無償のボランティア活動にでも参加する方がよっぽど健康的である。


そんな誰もが賞賛して実行しようとする優しさだが、それにだって欠点はある。欠点というよりかはリスクと言った方が適切だろうか?


まぁ、それなりの制約って奴は何にでもあるのである。

優しさの場合であれば、「優しい人間だと思われてしまう」ってことがその代償である。


優しい人だって思われてしまう事は、手放しで喜べる事ではない。


「優しい人には悩みの相談が集中する」という人間社会ならではの残酷な法則がある。


いつもは平然と優しい人を見下してないがしろにするのに、いざ自分がピンチになると尻尾を振って弱者のフリをして自分を無条件に肯定してくれる優しい人の元へと駆け寄ったりする人がいる。


そして、散々無償で悩みを聞いてもらっておきながら、自分の精神力が回復した途端に「優しいばっかりじゃ苦労するから気をつけなよ」みたいな上から目線のアドバイスめいた侮辱を吐きつけて颯爽とその場を去るなんて事をする。


まぁ、極端な例ではあるが、これに似たような近しい行動や思考をする人はどこにでもたくさんいる。


優しい人間ってのは裏を返せば「舐められやすい」のである。

優しい虚像


とはいえ、自分が優しい人間だと周囲から周知されて、自己イメージを存分に引き上げて悦楽の境地に浸るのはとても気分が良い。


優しさの何が良いかって、物質的な見返りではなく、自己イメージを爆発的に高める事ができる点にあると思う。

だからこそ、多くの人がこぞって金銭的利益の薄い優しさをばら撒いては精神的快楽を貪るのである。


この精神的快楽を存分に享受できる「優しい虚像」と、優しさによって失われる「即物的な精神」を天秤にかけて、人は社会の中を蠢くのである。

卒業式や退職、最後、終わりには優しさをばら撒こう!


優しさを好きなだけ振る舞っても良い時がある。

それが、「卒業式や退職、最後、終わり」の時である。だって、今後会う機会は滅多になくなるのだから、思う存分、自己イメージを高めてもその代償を支払う必要はないから。


「今後踏み荒らされない」という条件が整った上で、優しさという種を相手の脳内に仕込んで、とっても綺麗なイメージを咲かせる事ができるのである。


だからこそ、別れの季節には優しさを大放出させるべきである。自己イメージのボーナスタイムである。

補足:映画版ジャイアン効果について

ちょっと別の話になるが、映画版ジャイアン効果を狙うって手もある。

彼は「映画」というドラマティックな展開の時に刻みつけられる印象の効果ってのが甚大である事を知っている。

だから、普段は悪辣暴虐の限りを尽くしていても、映画の時だけは「優しい虚像」を徹底的に作り上げる事によって、少ないコストで自己イメージを飛躍的に向上させている。

ジャイアン効果は現実でも十分に応用が効くので、私もぜひ見習いたいものである。