心臓を取り外して生活できればもっと楽しいはずなのに。

論理と感情は相容れないから

論理的に正しい行動を取れば、今回は絶対に上手くいく!それこそが最善だ!

そんな事を思うけれど、心臓が恐怖して、波打って体を硬直させて何もできなくなってしまう。


結果としてはどっちつかずの中途半端な行動と思考のおかげで微妙な成果しか上げる事ができない。


どうにも面倒な話ではあるが、心臓は危険察知の観点では優秀だが、その反面挑戦や勇敢みたいな要素とは真逆の方向性を進んでいる。


その心臓のおかげで危険から逃れているのだけれど、新鮮な何かから自分を遠ざけてしまっている。


陰と陽は両方必要なのであるが、都合の良い具合にスイッチできないものだろうか。

心臓にちょっとアッチに行ってて欲しい瞬間


どうにか取り外せないもんかね、心臓ってのは。


こう体の中にボタンでもいい感じの機械でも仕込んでおいて、自分が「心臓いらねぇ」って思った時はリモコンかなんかでボタンを押すと、それだけで心臓のバクバクが止まる、みたいな。


結果として論理的に考えて明らかに正しい行動のみ専念でき、100%の能力を発揮できる。


正念場が終わったら、またリモコンでスイッチを押して再起動させれば良いのである。そんな便利な機能が人間に備わらないものだろうか。


それが叶えば、アスリートとか音楽家とか、ここ一番の大勝負みたいな機会がたくさんある人からすれば重宝されるんじゃないだろうかねぇ、と思うのだが。


まぁ、ドーピングの類に分類されて使用禁止になる可能性の方が高いのかもしれない。



挑戦が叫ばれている中、危険察知の恩恵に感謝すべきなのか


挑戦しない事は罪!


人生は一度きりしかないのだから、全力で恐れずに果敢に進めばいい!


不安で悩み時間なんて無駄の極み!


そんな論調こそがこの時代の絶対的正義である。


実際、行動挑戦実践がなくてはまるで経験値が溜まらず、理想と現実の乖離が進んで、まとも現実に適応できなくなってしまうのだから、無論挑戦やら行動は大切である。


しかしながら、その反対の要素である、危機察知能力にだって感謝を行うべきだろう。



現代は怪我や病気をすれば病院に行けば良い。危ない人に遭遇したら警察を呼べばいい。


そんな事が安易にできてある程度の効能を示しているからこそ、危険にあまり目を向けられなくて、「リスクを負わない事がリスク」なんていう名言が大手を振って歩くようになっている。


本当に危険を省みない事が良いことなのだろうか?


脳みその片隅に一抹の不安を


不安はスパイス程度で良い。


バランスが崩れて、不安が9割程度を占めてしまえば、それは何も行動できずにただ硬直してお地蔵さんのような人生を送る事になるであろう。


その辺はバランスなのである。


だが、不安が一切不要というのはやはり何か間違っていると思われる。


不安が一切存在せずに100%の挑戦だけに全力投球できたら、確かに一方向的な能力では最強になるのだろう。


しかしながら、応用が効かない、いざという時の対応ができない。


不安があり、その点について考えを巡らせるからこそ、あらゆるパターンを想定し対応する事ができるのである。



よって、本当に優秀な人間というのは、脳みその片隅に不安を秘かに住まわせているような人間なのではないだろうか?と思う。


怖いけど、不安だけど、辛いけれど、失敗したらあんな辛い事や怖い事が起こりうるけれど。


そんなあらゆる予想を行った上で、それでも腹をくくって前に進もうとする人間こそが強い人間なのだと思う。



まぁ、だから心臓も体の中にあってもいいのだろう。なかったら死ぬからね、心臓って。