幸せの回路を想像で事前に作成しておくことで人は幸福を手にするチャンスが増える。

妄想小説も悪くない


私は小説を書いた事がない。こうやって日々ブログを書いているのは楽しいと思う。


しかしながら小説を書いてみようと思った事がない。なぜだろうか?わからないけど、なんとなくでやらない何かなんてたくさんあって、小説もその中の一つなのだと思う。


だから急に何かの弾みでスイッチが入って小説やらなんやらを書き始めて偉そうな口を聞き始めるのかもしれない。


小学生の無邪気な笑顔を見て、何十年後かにふんぞり返って説教を垂れているタヌキおやじを想像できる人はそうそういないだろう。結局人生なんて何がどうなるかわからないし、どうにもできない事の方が多いのであるから自然の流れに身を任せるのがベターである。



小説とはちょっと毛色が違うけれども、妄想小説ってあるじゃないですか。


あれって、良くない?ってふと思った。なんでもふとである。理由なんて曖昧でよくわからんけど、なんかしらの流れで脳みそのシナプスがスパークリングした結果が「ふと」である。だからなんでそう思ったのかは知らない。



妄想小説ってのは、自分の理想色を全開にして物語を塗りたくる事ができるのが良いと思う。


それは自分の好きな色だけを好き勝手に塗りたくる行為であるから、周りから見たら、いわゆる「キモい、中二病」みたいな表現がされるだろうし、ドヤ顔で公開するならばイエス・キリストの如く石と暴言を投げつけられることだろう。



自分の現実にまるで即していない想像を100%ストレートで皆にぶつける行為は往々にして社会から受け入れられない。


だから、妄想小説ってのは商品化されにくいのだろうが、別の役割としては非常に役に立つ代物なんじゃないか?とふと思った。

何が幸福なのかを言語化しておく大切さ


先に挙げたように、妄想小説とは「自分の理想色を全開にした物」である。


つまりは自分の理想がなんであるかは妄想小説を読めばわかるし、妄想小説を書き綴る事によって自分の理想の擬似的達成ができるから幸福に満ち溢れる。


想像の力だけで幸せ全開になる事ができるツールこそが妄想小説、という言い方もできるわけだ。これはスゴイ!



人は場合によっては何十年という時間を掛けて途方もない目標を達成して大きな快感を得るのであるが、想像だけでもそれに近しい快感は得る事ができてしまうのならば、それはとんでもない発明である。



想像した事は脳みそ的には現実で実際にあった事と違いはないそうである。
(臨場感とか集中力とかの問題はあるので、濃度的なハードルはあるが)


そんな幸福体験をただ文章に打ち込むだけで得られるのならば儲けものである。


また、「自分の幸福とは何なのか?」って事をちゃんと考えておかないと現実世界でも幸福に向かって走り出す事ができない。


とりあえず皆が欲しいと思っている事を自分も欲しいと思ってみる。


世間が正しいと言っている事を私も目指してみる。


そんな悲しい人生の努力を行わないためにも自分の理想を言語化して追求してみるってのは大事だ。

妄想も繰り返せば強化される


自分が幸せだと思う事は何度も繰り返し思考した方が良い。


その度に幸福感が得られるし、幸せの回路が強化されるからだ。


自分にとっての幸福が何かを知る。

幸福感を得る。

幸福の回路が強化される。
(さらに強い幸福感を得られるようになる)


筋肉が鍛えられるように、幸せホルモンの分泌量もまた強化されるのである。


物質世界である現実で、何度も狙って100%同じ結果を起こす事は至難の業に近いが、妄想小説で何度もテキストとして叩き込む事ならば容易である。




瞑想も極めると座っているだけで、尋常じゃないβエンドルフィン(快感ホルモン)を分泌させる事ができるという。


そこまでやらずとも、自分の理想をただ文章にするだけで幸福になれるのならば、やる価値は十分にあるのだろう。



まぁでも、妄想小説は周囲から見るとドン引きされる可能性99%だから、こっそりひっそり書くのが良いと思う。


中学生の時の秘密ノートなんて、絶対誰にも見せられないです。