「面倒」を克服することこそが人生の成否を分けるのではないだろうか。

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やりたくない事についての扱い


最近はオンラインの活性化と電子機器のスペック向上によって、個人単位で仕事の取引が容易に行える時代になった。


だからこそ、会社の行事や「しきたり」なんかが若者から疎まれ始めて、「これからは自由なスタイルで仕事をしよう!」みたいな風潮が流行している。


いつの時代も若者は大人になりたくないし、大人をバカにしたいし、若者のままの希望を胸に抱いて生きていたいと思うものなのだろう。



で、それと同時に出てきたのかは不明であるが、「やりたくないことはやらない!」「やりたい事だけに特化する事!」それが成功のための戦略である!という意見も多数出てきている。


まぁ、これは最近の話ではないのかもしれない。ランチェスター戦略って奴があって、少数規模の事業体ならばニッチに特化した方が勝ち目は増えるよ!っていう話があるから、これの延長だろう。



確かに、「ニッチに特化する」という事は一般大多数が当たり前にやることを排除して、一部の物事にリソースを集中させる事である。


皆がやらないけど、それなりに需要がある事の専門家になることで利益を得るって戦略は理にかなっている。


だが、そこから不自然な延長線が引かれてしまい、「皆がやっている面倒な事はやらなくていい!」「自分のやりたい事だけやれば成功できる!」っていうような論調にすり替わってしまったのではないだろうか?と思っている。


自分のやりたい事は皆もやりたい事ではないだろうか?


自分のやりたい事を追求すれば、確かに特化はできるだろう。
(とはいえ、自分のやりたい事だけをただひたすら実践し続けるってのも簡単な事ではないだろうが)



だがしかし、特化したとしても、それがニッチである保証はない。


つまりは強大な競合が存在する可能性がある。


そして好きな物ってのは結構かぶりやすい。


「売れてる漫画や売れてるバンドや売れてる芸能人」を好きになる人が大半だ。
(だからこそ、「売れている」のである)


つまりは、売れている物を皆が好きになるのだから、それがニッチである可能性はとても低い。


もし、あなたが打ち切り寸前の漫画が常に大好きだったり、インディーズの底辺をさまよっているバンドが好きだったり、テレビに出た事のない漫才師を好きだったとしても、それは市場がニッチ過ぎて需要がない可能性があるから、それはそれで利益にならないだろう。



結局の所、需要のあるニッチ分野に特化しなくてはいけないという制約がある限り、自分の好き嫌いのみで商売を選定していると、多くの人間がどこかで躓くという話である。



面倒を克服することによって、「需要のあるニッチ分野に特化」できるようになる

そう考えていくと、最終的には自分の好みじゃない行動や思考を取ることが考えられる最大の利益を発生させる可能性だってあるわけだ。


というか、そういうケースは多数発生するだろう。


ならば、「やりたい事だけやる!」とか「やりたくない事はやらなくていい!」みたいな「面倒」を一切排除した思考行動では、いずれ立ち行かなくなるのだろう。



一部の天才がはその発想で勝利する事ができるかもしれない。しかしそれでも常勝はできないだろう。なぜなら時代が変われば需要も変わるからだ。



だからこそ、皆が毛嫌いする「面倒」って奴に真っ向から真剣勝負を挑み、挑戦回数、勝利回数を蓄積させていく事こそが現代社会で勝利するための強大な武器になるのではないだろうか?




嫌な事に向き合っていると、そのうち慣れて快感になる事もある。


そして、私が嫌な事は他の人も大概嫌だろうから、大きな利益を生む。



せっかくだから、今自分が嫌いな事、苦しいと思う事、面倒だと思う事と正面衝突してみるのもいいかもしれない。