みんなから注目されて愛されるってのも、よくよく考えれば怖いな。

みんな愛されたいから頑張ってる


承認欲求ってのがある。


承認されたい欲求である。つまりは誰かから認知されて受容されていっていう欲求である。


これがまるでないのが孤独というである。孤独は怖い、だから皆頑張って認知してもらって褒めてもらう。



愛ってのは、その承認欲求がハイレベルで満たされている状態って事だろう。


「とても幸せなのだろう」と体験した事のない私は思う。だからもっと頑張ろうと思ってしまう。


たぶん皆も潜在的にはそう渇望して毎日を懸命に生きてるんじゃないかと思っている。


恋愛やら結婚やらに多大な注目とヘイトが寄せられるってことは、きっとそうなんじゃないかと思う。

愛される怖さ。


実際体験した事がない事についてアレコレ言うのは、あんまり賢い行為ではない。


しかし何一つ考えないで突き進むのでは脳みそが付いている意味がない。


だから、体験したことのない私は考えてみる。「多数から注目されて愛される」ってのは幸せなのか?と考えてみる。



考えてみると、けっこう怖いんじゃないかと思う。


何が怖いって「束縛」が怖いのである。


  • 他者から見た自己イメージに束縛される。
  • そのイメージを守るために行動と思考が束縛される。
  • 常に他者の目線から束縛される。


こんな感じで誰かからの強い愛を受けると、自由がなくなる。思考と行動を縄で締め付けられる。精神面の首は常に締め付けられたままだろう。これは絶対に苦しいと思う。



まぁ、良い点としては、いざという時はみんなが守ってくれるし応援してくれるのだろうが、それはあくまでも「他者が自分に対して抱いているイメージ」を愛しているだけであって、自由な自分を愛している訳ではない。


だから余計に息苦しさを感じてしまうのではないだろうか。


過剰な愛ってのは怖い。

過剰な愛は信仰と暴力を生む


強く愛されるってことは、それだけに裏切りにくいってことである。だって憎しみと復讐の度合いが段違いだから。


よって憎まれないために自分は他者の期待に応え、他者は自分をさらに愛していく。


ある一定ラインを超えると、もう自分の意志だけでは制御しきれなくなってくるだろう。


それこにはきっと、「集団の愛」から生まれる信仰が存在するだろうし、「愛を貫くための戦い」としての暴力も生まれるだろう。



よって過剰な愛はいずれ狂気と争いを生む。



愛は盲目であるが故に、留まる所を知らない。

そこまで妄想する必要もないか


まぁ、特化は良いけど過剰はダメって事なのだろう。その辺の選別は大切なんだろうなぁと思った。


そのレベルまで愛される事を考えて「愛って怖い!だから愛される努力は辞めよう!」って言うのは「空から隕石が落ちてきて自分にクリティカルヒットするかもしれない!だから家から出ない!」くらいの間抜け加減であるから、まぁどうでもいい話である。


↓縄です、お好みの使い方で楽しんで下さい。束縛を楽しむって発想は天才だと思う。