パソコンのキーボードに隙間を作った奴が許せない。

コーラこぼした

パソコンでブログを読みながら、コカ・コーラを飲む。美味い。


こう、何気なく飲食をしながら深く考えないで気軽に文章を読んでる時間ってのも、結構幸せなもんだな。と思う。


ちょっとずつチビチビとコーラを口に含んでは机に戻す。数十秒後にまたすぐにコーラをチビチビと口に含む。一気に飲み下してしまえ!!!みたいに感じる方もいるかもしれないけれど、私としては、なんかゆっくり過ごしたい時は、こんな感じでダラダラと飲むのが好きなのである。



話は変わるが、子供の頃とかに車道と歩道を分割するコンクリートの20センチほどの高さの柵?みたいなのに率先して登って、その上を長い間バランスを崩さないで、できるだけ長い距離を渡っていく、という遊びをしていた事がある。要するに、平均台の上を歩くような気分でそこを歩くようなものだ。


大人になった今、そういう事をしている子供を見ると本当に危なっかしいと思う。すぐさま辞めさせたくなる。そしてどうして子供ってのは、こうもバカな事をするんだろう?と疑問に思ってしまう。特に男の子は率先してそういう事をやりたがる。



男の子ってのはバカな生き物なんだなぁ、なんて見下した気分でそれを観察する。



話は元に戻るが、私はコーラをキーボードにぶちまけた。つまりはこぼした。






この付箋。これの上にコーラ(缶タイプ)を乗っけていた。


この付箋の端っこに缶コーラを乗っけて、左手で弄んでブログを読んでいた。そうしたら、なんかコーラが急にこぼれてきてキーボードを汚した。許せない。



つまるところ、男の子はバカであり、それは大人になっても治癒しない、という証明が得られた。単純に私個人がバカである可能性はここでは考慮しないものとする。



こう、なんか左手になんか刺激がこう、なんか欲しかったんだよね。スリルを楽しむ俺、カッコイイ!!までは行かないんだけど、なんか適度な危うさを退屈しのぎにしている一面は子供も大人も出力される形は違えど存在するのだろう。



よって、これは男としては自然に発生し得る現象だと言う事ができる。


であるならば、こぼれるコーラの事を考慮して、キーボードに隙間を作らない努力をするべきだったのではないだろうか?


これは簡単に許せる問題ではない。


どうしてキーボードには隙間があるのか?


隙間がなければコーラがこぼれても問題なく安心して付箋の上で缶コーラを弄んでも大丈夫な社会を実現できたはずなのに、どうしてキーボードに隙間を作ってしまったのだろうか?



隙間のないキーボードをよこせ!



こうやって声高に叫ぶ事は誰にだって可能である。


しかしながら自分の欲望をそのまま外に出して、誰かが何かをしてくれる事を期待しても世の中は何も変わらない。コーラにまみれたキーボードは元に戻らない。



ならば、今ここにいる私ができる事ってなんだろう?って所から考えてみるしかない。今自分ができる事を一つずつ着実にこなしていく事で現実は変わっていく。



今私ができる事。それは開発者の意図を読み取り、改善策を模索すること!それ以外にない!


という事で、なぜキーボードに隙間があるのかを考察してみる。

キーボードに隙間がある理由:開発者の陰謀論


隙間がないキーボードの理想形。それは全てのボタンが独立している事である。


そうすれば、一つのボタンごとにUSBケーブルでパソコンに接続し、情報の出力を行えば良い、という具合になる。


この場合であれば、コーラをこぼしたとしても、そもそも隙間が存在しないのだから、コーラが隙間に入り込む事はない


この程度の事は少し脳みそを捻れば思いつきそうなものであるが、どうにも開発者はその発想に至らなかったらしい。


ならば、どうしてわざわざ全てのボタンを一つのパネルの上で合体させて隙間を作り、コーラが入り込む構造にしてしまったのか?


ここにはきっと、開発者ならではの思惑があるに違いない。そう、つまりは我欲を満たすための知略謀略策略が巡らされているに違いない。



その思惑とは「ボタンをひとまとめにした方が生産コストが下がる」という事だろう。つまりは自分の利益のためである。


一つのボタンごとに、一本のUSB線を作っていたのでは、キーボードのボタンは100個程度存在するので、USB線も100本作成しなくてはいけなくなる。これではコスト面で大幅な上昇が発生してしまう。この事態を避けるため、開発者の目先の利益のために、コーラがこぼれるリスクから目を逸らし、己の汚い欲望を全面に押し付けた形が今のキーボードなのである。



キーボードの歴史は長いものであるから、きっと今の人からすると、この形こそが当たり前のものだと洗脳されているに違いない。酷い話である。


本当はコーラがこぼれないように、隙間のないキーボード作成できたはずなのに、それによって多くの人がコーラの被害から逃れることができたはずなのに、あえて開発者はそれをしなかった。



ここに私は社会の闇を感じる。

クレーマーを本気で相手にすると、とっても疲れるって話


まぁ、上記のコーラの話なんかを本気で憤る人間がいたら、それはとんでもないクレーマーであるから、軽く流すべきである。






形に完全なものはない。きっとない。


だからどこかに闇が差し込んでくるし、隙間も生まれる。それによって光が快活に動く仕組みが保たれる事だってある。


キーボードは陰と陽が綺麗に混在して世の中の不思議を作り出している事を私達に教えてくれる。



もし何かに躓いて上手くいかない時。それは努力が足りないせいではなく、形が悪いだけかもしれない。つまりは構造、仕組みの問題かもしれない。


みんなが当たり前に使用している形は私にとって不都合かもしれない。そんな当たり前の所に目を向ける事によって物事は急速に進展を迎える事もある。



形に完全はない。よって最適な形を求め続けなくてはいけない。



私はキーボードにコーラをこぼさない形を目指さなくてはならない。



もうこのレベルになると、脳内を再構築したほうがいいのかもしれないが、そんな事は無理であるので、今度は付箋の上にコーラを置かないで、ちゃんと机の上に置くように脳内の仕組みをちょっと書き換える事にしよう。