イロトカタ

純然たるイロトカタです


なんでもポジティブに考えるってのは、もうそれは暴力なんだよ。

過剰なポジティブシンキング

いるじゃん、たまに「私ってなんでもポジティブに考えるんだー」みたいな人。


いや、いいけどさ。別に他人に強要しない限りはいいんだけどさ。


私だって表立ってその人を批判したりしない。「スゴイね、最高だね!」なんて言って、テキトーに褒めておいて波風立てないようにする。


あれかね、そういう人に向かって面と向かって批判や罵詈雑言を投げつけたら、どういう反応するんだろうかね?なんでもポジティブに捉えるってことは、罵詈雑言すらも良い事だと捉えるのかな?


「この罵詈雑言は私の精神をさらに鍛え上げるための神様がくれたチャンス!」みたいな思考回路になるのかな?だったら強いかもしれないね。



ただ、やはり異様な何かを私は感じてしまう。私がそこまでポジティブではないからそう感じるのかどうかはわからない。ただ、全てのモノに同じラベルを貼り付けて全部同じように扱うってのは、平等でも公平でもなく暴力的なんじゃないのかなぁ、とちょっと思ってしまう。



全てを一律に扱ってしまうことの怖さ


全てを幸せに感じる事ができる。そういう事ができたらいいなぁ、と皆思うはずである。


だから「好きな事を仕事にする!」みたいなテーマってのが人気の内容だったりする。聞こえの良い理想論は中身が伴わなくても持て囃す人がいる。


ただ、現実的にそんな事を実現できる人間は非常に少ない。にも関わらずそれを認めたくないから「私は毎日幸せ、なんでもポジティブ」みたいな思考を無理やり脳にインプットする人が増加する。


これって逆に疲れてしまうのではないだろうか?


現実世界に存在する、どうやったって辛いもの嫌なもの苦しいものについて、いちいち無理やり解釈を捻じ曲げてポジティブを演出しなくてはいけない。


その度に、その人の脳みそ半ば暴力に近いような演算処理を強いられるし、解釈の歪みという精神的重りを背負う事になる。




誰かから殴られたら痛いに決まっている。それを快感だと無理やり解釈する事がどれだけ不自然で苦しい事だろうか?

痛いことは痛いで良い。


自分の感情を真正面から受け止めるって大事だと思う。


それを誤魔化して歪ませてしまうから、脳みそが余計に混乱してしまって、あらぬ方向へ脳内活動が暴走してしまって、回り回って自分に大ダメージを与える事になるんじゃないだろうか?


全てのものに一律の評価を与える事は不自然だし不都合だし暴力的である


最終的に同じ評価を下すのならば、どうしてそれは違いを持って生まれたのだろうか?その意味を皆無にしてしまっている事は酷い暴力なのである。


だからこそ、負の出来事にはしっかりと負の感情を認める事が大事なのだと思う。その上で前向きに対処する分には何ら問題はない。



ポジティブシンキングは現実を歪めるための方法ではない。


最終的に自分が前を向いて歩けるように心を上手にコントロールする事であると思う。