被害者アピールができない人が助けてもらえる道理はない。

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助けての声の使い方

誰かに助けを求める事は悪いことではない。基本的に人と人は助け合って成長して発展きた動物であるから自然な行為である。


しかしながら、「助けてもらう」。つまりは被害者の立場として誰かに何かを要求するってことを、過度に行ったり、被害者を偽って要求したりすることは、詐欺としか言いようのない行為なので、その辺りは注意が必要である。



誰かに助けてもらう事そのものは悪い事ではない。助けてもらった分、またの機会に助ければ良いのである。そうやって人生の波を皆で共有することによって、みんなが溺れないように生存するのが人間の知恵であろう。


だが、誰かを助ける事はあっても、誰かに助けを求める事は一切しない、という人が少数ながら存在する。



どんなに辛い境遇にいても、誰かの力を借りようとせず、誰かに心の苦しみを受け止めようとして貰おうともせず、いつも通り普段通りの表情で周囲の人間と接する。心の内は傷だらけの満身創痍であるのだが、その素振りを見せたりはしない。



自立している、甘えのない立派な性格。


そうやって表現することもできるが、「助けてもらう才能がない」と言い換える事もできる。


お天道様は見ていない


努力してればきっと誰かが陰でみているから、いつか報われる日が来るよ!

お天道様が見てる。だから正しい事をしてれば、いざという時は助けてくれる。

天は自ら助くる者を助く


嘘である。


努力している姿をいつも誰かが見ているなんて事は現実的に可能性が物凄く低いし、実際にそんな事があったらそれはストーカー案件である。警察に相談したほうが良い。


お天道様って誰?会ったことあるの?実際に現実で会ったことのある人に頼った方がまだ助けてもらえる可能性が高いと思いませんか?


天は自ら助くる者を助くって、それ天は何もしてないじゃん。自分で自分を助けてるだけなのに天が助けてみたいな言い方をして成果の横取りをするのは良くないと思います。




こういった考え方をする人は、「助けてもらう努力を怠っている」のである。



何もせずとも、自分が頑張っていれさえいれば、「他人が勝手に助けてくれるだろう」という甘えた考えを実は所有している。そんな人間が誰かに助けてもらえる道理はない。至極妥当な話である。


自立と甘えのちょうどいいポイントを探す


自立するのは才能である。


だが、実は甘えられるのも才能である。


どちらも大切な才能であるから、その両方を巧みに使用できる人間は強いって話である。その使い方が華麗過ぎると「手のひら返しが上手」って評価を受ける可能性もあるが、それでも大事な才能である事は確かだ。



とても当たり前の話だが、「助けてもらえる人間」ってのは「助けを求める事ができる人間」である。


偶然に偶然が重なり、優しい誰かが助けてくれる事もあるが、そんな宝くじで三億円当てるようなラッキーに身を任せるのはリスキー過ぎる。



常日頃から誰かの役に立って、助ける事を心がけているのならば、自分だって助けてもらっても良いはずだ。


世の中を見渡せば、被害者でもない人間が被害者ぶったり、かすり傷程度の傷を全身の骨が折れたみたいな演技をして利益を貪る人間が蠢いている。



与えた分は求める権利があると思う。


だから本当に辛い時は「助けて」の心情を誰かにぶつけても構わないのだと思う。

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