ブログでツイッターのアイコンが追いかけてくる奴とか、サイドバーの実写顔写真が固定されてるとか、やめて。

鳥が追いかけて来る。しつこい。うざい営業を思い出す。


N○Kとか、団体の勧誘とか。ああいうの思い出すから本当に辞めてほしい。


文章にはものすごく興味があるのに、横でツイッターの鳥がぴょこぴょこ動いてると物凄く気が散る。集中できない。


私はどちらかと言うと頑固な方なので、あれだけ追いかけられると意地でもフォローしたくない!!絶対ヤダ。


ってな感じで結局まともに記事も脳みそに入ってこなくて無駄な時間を過ごしてしまった事がある。それ以来そのブログは読んでいない。


よく自分の顔を強制的に見せるようなサイトの作成ができるよな、と思う


あとあれな。サイドバーに自分の顔写真を乗っけて、いくら記事を縦にスクロールしていっても延々と固定された位置に知らない人の顔が写り続ける奴。


あれ、スゴイ根性しているよなー。いやホントに嫌味とかではなく。


仮に超絶美形でも中々できないと思う。


というか現実世界で人と話す時だって、話してる間ず~~~っと人の顔を見ながら話す奴って嫌だ。目を合わせる、顔を見るってのは瞬間瞬間で良いと思う。凝視されると嫌だ。



現実でもブログでも常時強制的に人の顔を見続けるなんて嫌だ。



どういう意識でアレはやっているのだろうか?


「自分の顔に対する認知度を高めて、親近感を湧かせてファンを獲得しよう!」って意図はまぁわからなくもない。


しかし過度に押し付けがましいのは不快である。嫌な物を無理やり見せつけられるのは不快である。私はそう思う。


別にトップ画像に顔があったり、記事の中に自分の写真があるのは全然問題ないと思う。


でも強制的に見ざるを得ない状況を作り出すって時点で読者に対する配慮が足りていないのではないか?と思う


嫌だから見ないけど、、


まぁただの愚痴である。そしてそういうのは嫌だから読まない。


だから何も言わずに私はそのサイトから立ち去る。



だが思う。「不快だって事をそのサイトの管理者に伝えるべきなのか?」って事を。



「お宅の鳥、すっごい懐いてきて迷惑でブログ読む気失せるんですけど」


とか、

「あなたの顔写真、常に見える状態だと吐き気がするので外してもらえませんか?」


とか。


うん。上記の文章は吐いたら確実にマズイ事になるから言わないけれども、もうちょっと丁寧な形で伝える事っては大事なのかね?

アドバイスとクレーマーの間


で、そうなってくると面倒なのが、「アドバイスとクレーマーの境目」がわからなくなる問題だ。


良かれと思って行った発言だって受け手からすると物凄く不快な発言かもしれない。


「鳥がウザいだって!?お前なんてこんな休日に一人で孤独にブログを読んで無駄な一日を過ごしているクソ野郎だろうから、寂しくないように鳥を飛ばしてあげてるんだろうが!!感謝するのが筋だろう!!」と言われたら返す言葉もない。



「サイドバーの顔がウザいだって!?でもお前友達いないんだから、せめてもの配慮としてお前にも友達がいるような幻想を与えてあげてるんだから、万歳三唱で俺の事の褒め称えるのが自然の摂理だろう!!」と言われたら見事な論破である。



つまりは、その人にはその人なりの意図があるってこと。


私が思う不快ってのは全世界共通の不快ではないってこと。違い視点から見たら快感の極みなのかもしれない。



結局の所、「私にとって快であるか不快であるか?」って話でしかないのだ。


じゃあどうすればいいんだろうか?


ってことはどうなんだ??私はどうすればいい?言えばいいのか、言わないで去るのか?



この場合と行動と結果は以下の4パターンになるだろう。

  • 1.アドバイスする→感謝される。その結果サイト主は成功者になる。
  • 2・アドバイスする→不快だと思われる。サイト主は不快さで失墜する。前途有望な人間を一人没落させる。
  • 3.何も言わずに去る→サイト主は改善策を知る事ができず失墜する。前途有望な人間を一人見捨てる。
  • 4.何も言わずに去る→サイト主は自分の正しいと思った道を突き進み成功者になる。


グッドエンドは1or4だろう。しかし私は預言者でも細木○子でもないから未来を正確に知ることはできない。


良いも悪いも結果次第である。運次第である。


結論としては、自分の行動に正しいも間違っているもないって事だ。



だからこそ、だからこそ「他人に迷惑を掛けない範囲で自分が正しいと思った事をやるべき」なのだろう。という結論は出せる。


でも「他人に迷惑を掛けない範囲」ってなんだよ。あぁもうわからん。結論が出せる訳がない。



結論が出なくても明日は来るし、私はまたどこかに動き出して何かと関わらなくてはならない。


そして動いた結果、関わった結果、誰かに迷惑を掛けることもあるだろう。不可抗力である、生きる限り仕方のない事である。


しかしそこで諦めて開き直ったりするのは良くない。


私が思う私なりの配慮をするしかないのだ。それ以外の事はできない。



一律に結論は出せないけれど、私が思う最高の結論を考える事は決して無駄な事ではないと信じたい。