理想の休日の過ごし方とか考えるけど、家でゴロゴロしているのって本当に幸せなんだよ。

スポンサーリンク

怠惰を満喫できる幸せ

理想の休日を思い浮かべる事はあるが、結局の所そこにスケジュールは存在しない。


空白のスケジュール帳こそが完全なる理想的な休日であると気づいた。


理想的って言葉を引き合いに出されると、朝の早くに起床してオシャレな場所のイケてるイベントに期待を膨らませながら早めに到着して、待つ。待つ間も期待の感情と友達との談笑で一切退屈な時間がない。一瞬一瞬が全てかけがえない大切な時間であって、自分の人生を精一杯生きてる実感が得られる!


もうそういうのいいから。いいから上質なベットと大好きな料理があればいいと思う。


まぁ、快感の取得方法にも色々あって、社会的な自分の価値を向上させるって方法を快感を得る人もいれば、自分の肉体と精神にだけ着目して快感を得る方法もあるって話。私は断然後者を選択する。


休日にまでやることを何から何まで決定しなくてはいけない!って感覚があまり好きではない。外に出てもいいけれど、漠然とした計画の上で物事を楽しみたい。


気楽、悠々自適、その場その場で。そんな精神的な安定感があるからこそ、私は休日を満喫できるのである。


何もしないって事が何の効果もないというのは間違っている


睡眠というのは、ただベッドの上に体を横たえているだけだ。だから睡眠は全く意味のない行為であり無駄である。


こんな意見を正常だと思う人間はいないだろう。眠らない人間はいないし、睡眠の重要性を理解しているからだ。



家でゴロゴロするというのは、ただ家の中で特に目的もなく活動しているだけだ。だから家でゴロゴロするのは全く意味のない行為であり無駄である。


こんな意見は正常だと認識されてしまうのがおかしい。睡眠に意味があるのならば、怠惰にあって多大な恩恵があってしかるべき!という発想には至らないのか。私には甚だ疑問である。


外に出さなければ内で処理される


睡眠というのは脳内の情報を整理整頓する役割を持っている。だから記憶の定着という観点では睡眠は非常に重要である。


家でゴロゴロするというのにも、同様の性質を持つと考えられないだろうか?睡眠が脳内の整理整頓ならば、家でゴロゴロするというのは家の中まで範囲を広げての整理整頓になっていると発想する事はできないだろうか?


一見無駄に見える行為も、日々の生活の中で蓄積された何かを解消したり整理したりする行為なのかもしれない。それが自分の脳内の気づきにくい部分のストレスを解消させているのかもしれない。


外から入ってきた情報を全く脳内で咀嚼して処理しないで、そのまま外に出してしまっては、脳内で情報が消化され吸収され自分の血肉になる機会が失われてしまう。


理屈あってのゴロゴロ、という訳ではないが、私がそれを大切だと思うのならば、やっぱりそれは実践されるべきなのだ。

理想の休日なんだから自分の欲望を全開にせねば!!


理想の休日。こんな大層な言葉からは大仰な行動計画を立てなくてはいない!と多くの人が気負いすぎてしまう。


だが、そんな事をする必要はない。


理想というのは自分にとって最適な状態の事を指すのだから。


よって、自分にとって家でゴロゴロする事が最適だと感じるのならば、それが理想の休日である。誰かからとやかく言われる筋合いはない。



さぁ、堂々とゴロゴロダラダラしよう!!


人は怠惰を貪るために日々を勤勉に過ごすのである!