ベタなデートがしたい。理想のデートってわかりやすい方が良い。

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合コンの記事とか見ると心が重くなる


いや、合コンはしたいよ、デートもしたいよ!!



でもさ、ああいうデート系の記事とか合コン系の記事とか、ああいった類の記事ってのは「デート相手に点数を付けてダメ出しをしたりして小馬鹿にする」って所に記事の魅力があったりする訳じゃん。特に男性の行動やら服装チェックやらの下りなんかはそれだけで心臓を緊急停止させるだけの力を持っている。



まぁ、女性からの観点からすると、「モテる女性」や「自分がモテると思い込んでいる女性」からすると、男性とのデートや合コンなどで精神を痛めつけられる機会が多いから、そういう記事で日頃の鬱憤を晴らすという意味合いで需要もあるのだろう。


男性視点からしても、女性の正直で辛辣な意見を知る事ができると思うから、ああいう記事を熟読するのだろう。個人的にはああいう記事を熟読して全て言われるがままに実践した所でモテるようになるとは思わないけれど。



男性はデートがしたい、女性もデートがしたい。


でもその思い描く理想のデートってのは点数を付けて行わるような、堅苦しい試験のようなデートではないはずだ。



評価や比較や向上なんかは非常に素晴らしいツールであると思うが、愛とか恋とか信頼とか。そういったフワフワした概念について執拗にそのツールを活用してしまうと、心の中に思い描いた理想像が汚されて破られて無残に塵になってしまう事があるから、用法用量を知って正しく利用することが望ましいと思う。

だから今、私はベタなデートがしたい


そういう事を踏まえて、私はベタなデートがしたい。


もう、アレコレ細かい事に気を取られないで、恋人同士の純粋に互いを思い合うようなデートがしたい。


年収とか権力とか将来性とかファッションとかエスコートとか食事マナーとか待ち合わせの時間とかその他もろもろとか。


そういうの全部取っ払って、もっとナチュラルな感じのがいいんだよ。


そらまぁ、大人になると上っ面の装飾品の着飾り方や研磨の仕方が上手になってくる。そうすると自分の心の奥底に持っていた熱い何かが次第に欠けて冷めて行ってしまうのだ。


それがなんか辛い。妥協と打算こそが恋愛のすべてなのかよ!っていう甘酸っぱい青春ラブストーリーみたいな台詞を本気で吐いてしまいそうになる。



でも、ふとした瞬間に何もかも脱ぎ捨てて、純粋な何かに熱中したいと思うんだよ。大人だからこそ若い時の気持ちのひたむきさの惹かれる部分があるんだよ。


ベタなデートが私にその若かりし頃の心の源泉みたいなものを思い出させてくれるんじゃないか?そんな願いを込めてのベタなデートである。


理想のデートは物質ではなく精神にある


以上の事を踏まえた上でわかった事ってのは、理想のデートに必要なものってのは物質的な何かではなく、精神的な何かの要素の方が強いのである。


物質的な何かは最低限で良い。それよりも熱くて純粋な精神活動が要求される。


ファッション誌やテレビに惑わされないで、昔に封じ込めた心に着目してデートを考えてみてはどうだろうか!!!



みたいな感じで締めようかなぁ、と思ったけれど、厄介な部分ってのはやっぱり「物質的な何かは最低限あれば良い」って所であって。


みんな最低限のレベルがすごく高いし、それぞれがオリジナリティをすごい持っているから、相手からすると本当にどうでも良いような部分に着目しちゃったりして、お互いの相性が合わなくなったりして。


「~さえあればいい」「~があれば良い」なんてのは建前の部分であって、しっかりカウンセリングをすると、「最低限求める物質的な何かのレベルが物凄く広くて深い事」に気付かされる。



そんなこんなで理想のデートにはいつたどり着けるのやら、と言った感じだと思った。


まぁ、日々の鍛錬を持って自己のステータスを向上させる事はそれでも大切だと思います。


【なんやかんやでこういう本ってのは大切なのかなぁと思う】