身の上話とか過去編ってのはやり過ぎると、どんなに良い話でも卑怯!!

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やり過ぎると泣き落し芸人になっちゃう


初めて会った時は、物凄く態度の悪いムカつく奴。さらにはその人のやろうとしている事は悪い事。


だから私はその人の事が嫌いだし、悪い事を止めようとするのだけれど、その人には驚愕の過去が!


なんと、その人には聞けば涙の壮絶な過去があって、態度が悪くなってしまったのにも、それにふさわしいだけの理由があった!

さらにさらに、その人が今からやろうとしている悪い事だって、壮絶な過去に起因する何かを守るために行っている訳であった!


だから、本当はその人は良い人だったんだ!よって私はその人に協力したら、手助けしたり、説得したりして、本当の悪を一緒に打ち倒して、最終的にその人とは友情を築いた!



みたいな展開。漫画とかドラマとかには頻繁に登場する。


アレが効果的なのは非常によくわかる。超有名漫画なんかの仲間追加編になると何巻にも渡って、そのキャラの過去編が繰り広げられて、親近感と悪事遂行の然るべき理由みたいなのをくっつけて、キャラの印象をまるっきり別の方向へと変化させていく。



人は人の過去を知ると親しみを感じるようにできているのだろう。


また、「本当は良い奴だった」というのは、意外性という性質から見ても効果的なのだろう。



そんな背景があって、「過去編の壮大化、長編化」ってのは昔に比べると多用されるようになった。


で、思う。

過去編、卑怯じゃない?と。

誰にだって辛い過去の一つや二つくらいあるのに


まぁ、確かにその人には辛い過去があって、かわいそうだったのだろう。今やっている悪行だって誠実な理由があったのだろう。


でもさ、そんなの誰だってそうじゃないの?


その人の過去編ばっかりやるから、その人だけがかわいそうな印象を持ってしまうけれど、人間長い事生きていれば辛い事の一つや二つくらいあるからね。


なのに、編集の魅せ方のせいで、どうにもその人だけが悲劇のヒーロー、ヒロインになってしまい、「過去を紹介されない悪事を行う人間こそが本当の悪人なんだ!」って事になってしまうのには、どうにも腑に落ちない。



「過去を紹介されなかった悪人とされる人間」だって、蓋を開けてみれば本当はかわいそうな人だったのかもしれない。にも関わらず蓋を開けることもなく、蓋ごと一切合切断罪してしまう手法というのは納得いかない。



これでは、「自分かわいそうですアピール」がたくさんできた人間こそが「本当は良い奴」で、それができなかった奴こそが「本当の悪人」という事になってしまう。

純粋バトル漫画だって、実は情報戦争なんだよ


「本当は良い奴」


そういう印象付けに成功したキャラクターは、周囲の人間に味方してもらい、本当の悪を倒す事を達成する。



「いかに自分を知ってもらい、同情してもらうか、自分の行動理由の正当性を周囲に納得させられるか」


という点が重要になってしまう。



壮絶な過去を周知されられれば皆から愛される。

壮絶な過去を語れば、今までの悪行も全部チャラになる。



過去編ってのは便利だけれども、過度に行われると、これはもう情報操作としか言いようがなく非常に卑怯な行為である。そんな事を思った。



しかしまぁ、同情を引くのも、悪行を正当化するのも、「処世術」という賢い生き方である事も否定できない。



「愛される」という戦い方も、また一つの戦略なのだろう。



【思い出の効果は絶大!今現在に補正を加えるのは思い出です!】