イロトカタ

純然たるイロトカタです


「理想的な学校生活への願望や青春の味」が人生を灰色にする理由。

ドラマや漫画の過剰な脚色


「青春漫画やドラマと言えば?」という質問を投げかけられたら、世代によっても男女によっても性格によっても多種多様な答えが返ってくるだろう。


3年間という限られた時間の中で、若く無垢なエネルギーをペース配分なんて一切気にしないで全力で駆け抜けていく。


そこには、大人になることに無限の希望を膨らませているし、その過程である現在の生活は夢の中であることに違いない。


青春というのは確定的に素晴らしいものであり、それは絶対に自分にも手放しで訪れる事件であるに決まっている。



青春がどこから始まるのかは人それぞれだけれど、それは絶対に自分に降ってくるものだと信じてやまない。



そんなご都合主義な理想論こそが、ドラマや漫画によってもたらされた青春である。



現実において、それが実際に発生するのならば何ら問題はない。漫画やドラマに憧れて、自ら無理やり自作自演の青春ごっこに興じた人間もいるだろう。きっと周囲の冷めた人間からすれば、痛い人間だったのかもしれないけれど。それでも己の力で素晴らしい何かを創作してやろう!という心意気は、間違いなく青春そのものであるから、それはそれで良いのであろう。



しかし問題は、「メディアによって過剰に脚色された理想を当たり前だと思ってしまう」。そして「その理想が現実において訪れなかった」場合である。

昔、思い描いた理想を未来永劫悔み続ける


なんだって叶えば良い。なんだって手に入れば良い。だから持っている人については何ら関係ない話だ。



だが、過剰に脚色された理想の有効求人倍率はあまりにも低い。


理想の案件が1に対しての求職者は優に1万を超える。よって、大半の人間はそれにありつくことができない。



当たり前に誰にでも配布されるそれが、実は極々少数の人間にしか行き渡らないと知った時に感情はどうだろうか。


「呼吸が自然にできるのは普通の事!」そう思って生まれてきた赤子の気持ちは想像を絶する程に苦痛だ。



見事就職できた人は、赤子に同情する気持ちを抱くように、青春を手に入れる事ができなかった人にも同じような思いやりを捧げて欲しい。



青春を手に入れた人の10分の1程度の酸素で活動しなければいけない生活では地面に這いつくばるしかない。


下を向いて歩く


現実と著しく乖離した想像は、毒となり自らの体を蝕む。


綺麗過ぎる想像も、時としては劇薬なのである。



それによって、社会人になってから、もしくは学生時代の途中から、酸素欠乏状態に陥って常時呼吸困難で生活をしなければいけなくなる。



大切なのは、無用な想像はさっさと捨て去ることであり、自分の現実の価値を向上させる情報を獲得することだ。
(そこに偽りが存在しても構わない)



人生においての勝利とは、「自らが人生において勝利したと考える」ことに他ならない。それ以外の要素は飾りに過ぎない。


大量の金も、優秀な異性も、地位も名誉も、それを自分に訴えかける道具の一つに過ぎない。



物質的な面で貧困に喘いでいる人間ってのは、日本には極々少数しか存在しない。


にも関わらず、日本の大半が不幸である原因は、脳内の情報が自分の不幸にするもので満ち溢れているからである。


「自らが人生において勝利したと考えられる」情報をより多く獲得した人間が、人生の勝利者だと考えられる、という至極当然の法則に従って、脳内の情報整理をする事がバラ色への第一歩!