夏休みの宿題がまともにできなかった奴は、ブログもロクに書けないはずだ。


なんでもいいから書け!と言われると書けない。


じゃあ、なんかテーマを見つけて書けばいいじゃないか!って言われるのだけれど、そのテーマが見つからない。



夏休みの思い出。


懐かしい思い出がブログの執筆と伴に思い出される人も多いのではないだろうか?




そんな事を思いつつも、夏休みの宿題を提出した私はなんかしらの解決策を取っていたのだろう。


例えば、家族に助けを求めるとか、友達のを参考にして作成するとか、お手本みたいな去年の誰かの夏休みの宿題を参考にして作成するとか。


夏休みの宿題を提出した人間は、皆それぞれのやり方で自由研究という課題をクリアしているのである。



独自の方法で、二ヶ月間程度の長い幸福な夏を満喫した代償を払って、また子供達は学問を探求していくのである。


規律正しい拘束性のある環境でも人は学ぶし、漠然として膨大な自由の中でも人は学ぶのである。




そして何年もの時間が流れる。



ある人のどのタイミングでもいいのだが、その人がブログを始める。


ブログを始めるという事は記事を書くという事だから必然的にネタが必要になることに異論を挟む人間はいない。


よってその人も自然とネタを探し始める。そこで気づく。「ネタがない」と。



じゃあなんでブログを始めようかと考えたのかと問われると、そこには金とか名誉とか自己表現とか自己改善とかストレス発散とか。まぁ色々あるのだけれども、何かを継続するには、それに伴う材料を定期的に調達してくる必要がある事を知る。



「ネタがない人間はどうするのか?」


それはみんな小学生の夏休みの宿題提出という課題の時に学んでいる。



近しい人に助けを求めるか、周囲の人間のやる事を真似する。特に有名な人を真似する。



夏休みの宿題の際に学んだ「自分の脳みそでまともに考えないで、誰かに頼って作成する」という打開策によって、自分だけのオリジナルブログを創作していく。



夏休みの宿題の際に本当に学ぶべきは、自分自身で物事を一から考えて、組み上げていく能力であったのではないだろうか。


その過程として誰かの意見を参考にする事は奨励されるかもしれないけれど、それはやはり「過程にて」の話である。



そういう意味で、私もまた「夏休みの宿題の途中」を行っているのかもしれない。



巷にはブログが書けない時にはどうすればいいのか?とか、こういう文章を書けばアクセスはとっても上がるよ!とかいうサイトが腐るほどある。


また、有名になっているブログもごまんとあるから、そんなサイトの構成や内容を模倣する事によってそれらしい「自分だけの」ブログを作成する事も全然可能だ。
(言うまでもないが、「自分だけの」は皮肉である。)




だが、小学生よりちょっぴり大人になった私は、地道でも、まるで成果が出なくても、「自分の頭で考える」って事に向き合ってみる事が大事なんじゃないかと思う。




ネタがないなら、自分自身で「どうやったら良質なネタを大量生産できるのか?」というテーマに向き合うのが大切なのだろう。そこでgoogleに「ブログ ネタ ない」とか検索するのでは、小学生の夏休みから何も変わっていないのではないだろうか。



ブログをどんな物として捉えるのかは、人それぞれであるのは確かだが、私は「私」を大切にするためにブログを書いている。


今後、音楽レビューだろうがアフィリエイトだろうが、なんだろうが、色々な文章を書く事になったとしても、そこには「自分の脳内を介して」作成されるべきだと思っている。


でないと、勝てるとは思わないし、何より楽しくないだろう。


仕事や労働がなぜ楽しくないのか?って事を考えるならば、それは夏休みが残り2,3日みたいなテンションで自分で何かを一から組み立てるノウハウもないから、誰かにすがって作り上げないといけない状態だからではないだろうか。



夏休みの宿題の続きをこれから始めよう。