居酒屋で食べるフライドポテトは美味しい【おつまみのジェネレーションギャップ】

居酒屋は酒を呑む場所にあらず

居酒屋なんか、あんまり行く機会はない。少なくても一人で行くような機会は物凄く少ない。

しかし、久しぶりに大勢で居酒屋に飲みに行く時はそれなりに楽しい。


なぜなら、「この人と行けば楽しいだろうな」という人とか、私は居酒屋に行かないからだ。


基本的にメンツが良ければ、どんな居酒屋に行こうが大体楽しくなるのである。逆にメンバーがアレな感じだと、どんなに良い居酒屋に行こうが、そこで呑む酒はマズイ。



居酒屋云々、飲み会云々が敵視嫌悪される時代であるが、やはりその実は人間によって左右される部分が大きいのである。



カフェはコーヒーを場所ではない、人と密に話をする場所である。

カラオケは歌を歌う場所ではない、人と腹を割って叫ぶ場所である。

ならば、居酒屋もそれと同様だろう。結局は「人間ありき」でその場所の価値の大部分は決まるのである。

おつまみのレパートリーなんて、若者からすれば皆無

で、居酒屋ってのは、親しい人間、もしくは親しくなりたい人間と歓談する場所である。


その時に、私個人としては「おつまみ的なもの」を欲しいと望む。


先に挙げたように、居酒屋は酒を呑む場所でもなく、食事をする場所でもなく、メインは人との会話にあるのだから、口内を大量の食事で満たしてしまうのは、あまりよろしい話ではないと思う。


よって、口内に心地よい味覚を染み渡らせる事ができ、尚且つそれがメインにならないような食事。それこそがおつまみなのである。


少ない分量で味覚を存分に刺激し、その快感を持って他人と会話をする時の潤滑油とする。それこそがおつまみの醍醐味なのである。



と、言ったものの、私はおつまみについて精通している訳ではない。


枝豆、そら豆、ナムル、塩辛、牡蠣、れんこん、ごぼうなどなど



まぁ、きっと年配に人に好きなおつまみを聞いて回れば、一つの箱にもその人の人生経験を物語るが如く、彩り溢れるおつまみの話が語られるのであろう。


しかしながら、若者サイドからすると、そうもいかない。


最近の若者はあまり飲み会を好まないと言われるし、「会社の飲み会に参加したがらない若者」を大人は憂いて、余計に年配と若者との溝が深まっているという。



だから、若者は居酒屋に足繁く通ったりすることもないし、ましてや「自分が大好きなおつまみ」というジャンルの箱の中身はスカスカなのである。



そんな時の若者の助けになる「おつまみ」ってのは「フライドポテト」なんだと思う。

フライドポテト事件から見える、飲み会の意義の衰退


どうにも、若者が居酒屋でフライドポテトを注文した所を、年配の方が注意した事によって話題になったようだが、若者としては必死の譲歩だったのかもしれない。


「飲み会!」→「飲み会ならばおつまみ!」→「あぁ、でも俺おつまみの事なんて全然知らん!」→「苦肉の策としてフライドポテト!」


みたいな流れだったのかもしれない。まぁ詳しい事は知らんが。


で、その若者のせめてもの行為は、年配の方からするとどうにも気に食わなかったらしい。



そんなこんなで、なんか話題になるという。まぁ最近はなんでも話題になるなぁ、とも思う。



飲み会というのは、食事も酒もサブ要素である。メインは人間同士の親睦を深める事にあると思っている。


しかしながら、その辺の前提意識が両者で異なっていたのかもしれない。



私自身、飲み会に参加すると、目新しい物を率先して注文するタイプである。つまりは俗に言う所の空気が読めない人間である。よって、その上司を相手に飲んでいたら、同じような状態になっていたことだろう。



私個人としては、飲み会は人同士のコミュニケーションを活性化させるためにあるので、若者がフライドポテトを注文したのならば、それを生暖かい目で見てもらって、それを話の種にしてやってはくれないものだろうか?と願うばかりである。



両者の当たり前を理解し合い、両者の価値観をすりあわせていくのが、コミュニケーションであると私は考える。


自分の当たり前にそぐわない人間を即断即決で切り捨ててしまう人間にコミュニケーションは難しいのではないか。


たかがフライドポテトである。そんな事で怒ってしまったら、その先のもっと深い部分をどう理解し合えば良いのだろうか。



【もういっその事、家で一人でフライドポテトを食べる事にしようか】