「バカ」という言葉は実は優しい言葉なんじゃないか

バカという言葉は不愉快に感じる

バカにされた事はあるでしょうか?もしくはバカにした事はあるでしょうか?


きっと誰でも両方やった事があるはずです。


天才レベルで頭が良いけど性格が悪い人からバカと罵られたこと。


お笑い番組やニュースなんかで、愚かな人の蛮行を眺めながら「こいつバカだなぁー」なんてぼんやり考えたり。



意識的ではないにせよ、人と人は互いにバカにし合っている生き物なのだと思います。



「自分のよりも下位の存在を定義する」というのは精神的にも安心できますし、自分の社会的立場を守るためにも重要なのかもしれません。



とはいっても他人からバカにされることは気分が良いものではないと思います。



「お前バカ」


こんな簡単なセリフで、人と人は乱闘レベルの事態にまで発展してしまう事もあるでしょうし、互いの親密な友情も脆く崩れ去ってしまうこともあるでしょう。


バカという二文字は、酷く暴力的で平和からかけ離れた悪しき道具である。そういう考えをする人もいると思います。


バカという言葉は抽象的


しかし実際の所どうなんだろうか?という事をふと思った。


「バカって言葉は人をバカにする言葉なのであるが、でもその人の正確な能力を否定する言葉ではないよなぁ」と思った。


要はバカって言葉は非常に抽象的である。あいまいなのである。具体的なその人の駄目さ具合を表す言葉ではないのだ。



「お前は記憶力がないよな。だって今までに行われた計20回の記憶テストのお前の正解率は40%を下回っている。そして俺はお前が毎日懸命に努力をしている姿を見てきた。その努力をまともな記憶力を持っている人にさせたならば、きっとその人は80%以上の得点をしていたはずだ。にも関わらずお前は惨憺たる結果を出している。よってお前は記憶力がないよな。」


というセリフと、


「お前また35点なのかよ!バカだなぁ~」


というセリフだったら、どっちが傷つくだろうか。まぁどっちも傷つくのは確かだが前者の方が著しく傷つくに違いない。そして後遺症もとんでもない事になるに違いない。努力を辞める可能性は高いだろう。



そうやって考えるのならば、前者はピストルであり、後者の「バカ」という言葉は見た目が派手な「丸いボール」くらいな物なんじゃないだろうか。



バカという言葉は、ボールであるから自分にぶつかった瞬間に大きな衝撃と精神的動揺が発生するだろうが、自分の身体に大きなダメージはないし、無論後遺症になるなんてこともない。


精神的な衝撃は大きいけれど、肉体的な負荷は小さい。そういう意味では今後のその人のための「良い薬」にもなり得るのではないだろうか。



しかし前者の具体的な根拠を連ねた批判は違う。


聞いてすぐにはダメージは少ないかもしれない。なぜなら理解するのに時間が掛かるし、その説明の検証を今までの人生経験と照らし合わせていくからだ。



だが、「批判された!それも正確に!」という認識ができてからは血が止めどなく溢れだす。内蔵にも大きな影響があるだろう。一日二日で治るようなものでもないし、もしかしたら一生治らないかもしれない。




そう考えると、精神的な衝撃は大きいかもしれないけれど、バカというボールで適度なショックを与えてくれるというのは優しい行為なのかもしれない。


過剰反応は身を滅ぼす

とはいってもボールだろうが、何度も執拗にぶつけられたならば肉体的に苦しいしダメージにもなる。そういう時は率先して投げ返すか逃げるべきだろう。


ただ、見方を変えると「抽象的にぼんやりとしたレベルでの批判」ってのは演出効果は大きいけれど、実は大した被害は出ないんだなぁ、という事である。


バカにされるのはイヤな事だし、バカにされたくないと思うのは当然だが、「バカにされた!」という精神的な衝撃の大きさだけで混乱したり狂乱したりして、過度に物事を履き違えるのはよろしくないと思った。



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