人間はケツで呼吸できる能力をこれから身に付ければいいと思う。

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ケツで呼吸すれば助かったものを

人は息ができないと死ぬ。死んだことのない私でもそのくらいの事はわかる。


その意見に反対するのであれば、試しに呼吸を止めて見て欲しい。30分ほど。


その上で「俺、死んでねぇよ!ふざけんな!」という意見があるのだったら、その時は私は真摯に謝罪したい。たぶん30分も息を止めたら全員死んでいるはずなので、なんら問題はないはずだ。言動的には問題だろうが、それを咎める人間がいないのならば、それは罪足り得るのだろうか。


そういう意味では、罪を裁く人間がいるからこそ、罪を訴える人間がいるからこそ、罪は罪としての表情を露わに見せ始めるのだろう。


はっきりと被害を受けたならば、それを然るべき所に申し出るのは大事!


そういう事である。いや、違う。そういう話をしたかったんじゃない。



ケツの話がしたい。

分散して命を守る。だからケツ。

そう、現状の人間はケツで呼吸をする事ができない。故に口か鼻で呼吸をする。そしてその二点を塞がれてしまうと人間は容易く命を落としてしまう。


人体の急所を局所化させるってのは、生命保持の観点からすれば、あまりお利口な手段だとは言えないのではないだろうか?


大金を儲けたら、貯金口座を分けるくらいの事はするだろう。


一つの会社からの収入だけに頼るのではなく、もう一つ副業を持ちたいと思うのは自然な発想だろう。



ならば人間にとって最重要なのは、金よりも命である。だって命がなければ金は使えないのだから。


よって、命を担保する道筋は異なる場所に複数持つのが妥当ではないだろうか?


つまりはケツで呼吸するのが良いのではないだろうか?



「ケツで呼吸するなんてけしからん!そんなの下品だ!」


という紳士諸君がもしこの文章を読んでいたのならば、こう切り返したい。


「お前は今までこいた屁の回数を覚えているのか?」と。



そう、ケツからなんらかの空気的な物を排出する行為は世界中の全人類が例外なく行っている事なのだ。


ならば、そのケツから酸素を呼吸する事の何か下品なのか?私はそれを断ずる事ができない。


これならば、水の中で上手に呼吸できなくても、ケツさえ水上に表出していれば事なきを得る事が可能だ。


ケツ呼吸がもし恥ずべき事だとしても、それ以上に人命の価値の方が尊いに決まっている。



結論としては、やはり人間はケツで呼吸するべきである。


人間はケツから臭いガスばかり出している事を恥ずべきである。

ケツ呼吸のメリット


はっきり言ってしまえば、「汝は屁をこいたか?それとも呼吸をしたのか?」という質問に持ち込む事ができ、尚且つその疑問を暗礁に乗せる事ができるという点に尽きる。


つまりは、人間はケツ呼吸を導入する事によって「屁をした事を誤魔化せる」のである。


「いや、呼吸だって言うけど、それでも今のは臭かったよ」


なんて発言をする輩には「君は人の口臭を公衆の面前で罵倒するのかね?失礼!断罪!」と一刀両断してやれば良いのである。



そう、人の口臭というのは、病気だったり内蔵の不調だったりによって、「どうしようもなく」そうなってしまう事であり、そんな仕方ない身体症状を指摘する事は結構な無礼にあたる、というのが大半の社会に生きる人間の通説である。



人はその通説をケツにまで通す事によって、「屁の臭さ」を「病気、内蔵不調による仕方のない口臭」に転換させる事ができるのである。つまりは誤魔化す事ができる。



「これ、呼吸だから!呼吸だからね!」


このセリフがただの言い逃れではなく、市民権を得た立派な主張にまで昇華される事になる。ケツ呼吸ならば、それが可能だ。


これは屁ではない、呼吸だ


現代社会の問題としては、社会のあるべき姿を皆が頑なに守ろうとする所にあるのだろう。


だからこそ、人間の自然な生命活動が脅かされ、多大なストレスを被る場面は多々見受けられる。


その一端が「屁」である。公衆の面前で屁をこくって事は冗談でないくらいに恥ずかしい行為であり、場合によっては失礼にあたる。
(まぁ、大概の場合は笑って許してくれるだろうが)



ただ、そんな社会的には触れにくい屁の問題は深刻な身体的精神的ストレスである事は確かだ。


大切な営業の場面、重役が前にいる時に屁をこきたくなる。

ビルにいる人間に対してのトイレの数が少なすぎて、いつまでもチャンスが巡ってこない。

そもそもトイレがない。


たかが少量のガスのために、現代人は冗談じゃないくらいのストレスを受けている事は確かだ。しかもそれは皆が触れにくい話題であるが故に解決もされにくい。

呼吸によって、ケツによる空気が行き交う事が当たり前の文化が形成されれば、この問題は解決される事だろう。



「たかが屁ひとつで苦しむ必要はない」


ケツ呼吸なんてできなくたって、そんな一つの概念を社会全体で共有すれば、もっと皆が楽に生きられるのではないだろうか?


でも電車の中でするのは勘弁して欲しい。換気されていない密集状態で放たれるそれは、人の心を容易く揺さぶる。



「あ、俺屁こいてきます!」みたいなテンションで軽く席を立って迷惑が掛からない場所で屁をこける、みたいな文化こそが理想なのである。



【とりあえず、これを携帯しておくのが今の文化的にはベターだと思う。】