恥ずかしいという感情は帰属する社会から離れてしまった時に発生する

仲間はずれは恥ずかしい

恥ずかしい。


例えば、学校で自分一人だけが全裸だったら恥ずかしいだろう。


どんなに真面目な態度で授業に専念しても、どんなに面白い冗談で友達を笑わせたとしても、どんなにイケメンで気が利いて人の心を掌握する能力に長けていたとしても、その人が全裸だったら恥ずかしいだろう。



恥ずかしい、という感情が生まれる事に対しては誰も反対する人はいないだろう。


しかし、なぜ恥ずかしいのだろうか?


どうしてこんな感情が生まれるのかについては、私は詳細にまで思考した事がないなと思った。


一応念の為注釈を加えておくが、私は別に全裸でどこかに出かけてその際に、このような事を考えたからこの記事を書いた訳ではない。


電車内で、スマホでアニメを見ていたら、なんか恥ずかしい気持ちになったから、この記事を書き始めただけの事だから、誤解しないで頂きたい。

孤独の時に恥ずかしいと思う奴なんていない

で、どうして恥ずかしいという気持ちが生まれるのかを考えた所、一つの気づきを得た。


それは「一人の時はどんな事をしても恥ずかしい気持ちにはならない」という事だ。


一人である時ならば、誰だって全裸になっても恥ずかしい気持ちにはならないだろう。一人でお風呂やシャワーに入っている時に、気恥ずかしい感情が芽生えてきたら、それはたぶん自意識過剰である。


つまりは、恥という感情は集団の中でこそ発生する感情だと言える。


孤独ならば、恥とは無縁になれる。


恥ずかしさの理由


じゃあ、集団が行う行為から乖離していれば、どんな状況でも恥ずかしいと思うのだろうか?


そう問われたのならば「必ずしも、そういう事にはならない」と答えるだろう。



例えば、あなたがイケメンリア充だとしよう。(爆発しろ)



そしてイケメンリア充であるあなたの周囲にはキモいオタク達がわんさかと存在し、二次元キャラの話で談笑している。


あなたはイケメンリア充だから、その話には一切入っていく事はできない。



その時、あなたは恥ずかしいという気持ちになるだろうか?まずならないと思う。


「キモwww人型の豚共が喚いてやがるwww」


と心の中で嘲笑する事だろう。もしくは声に出して罵倒するだろう。


集団の行動からは乖離しているはずなのに、どうしてイケメンリア充は恥ずかしいと思わないのだろうか?そいつがイケメンリア充だからだろうか?


いや、違う。


自分が帰属している(or帰属させられている)集団の思想から離れた行為を取った時に、人は恥ずかしさを感じるのである。



イケメンリア充はオタク集団には帰属しないから、恥ずかしいとは一片も思わない。


しかし、オタクはイケメンリア充集団に、「帰属しているor帰属させられているor帰属せざるを得ない」から、自分が好きだと思う行為でも恥ずかしいと思う事があるのである。


恥ずかしいと思った時、自分が何にすがっているのかがわかる

例えば、先程の私の「電車の中でスマホでアニメを見てたら恥ずかしい気持ちになった!」というのは、つまりはそういう事である。


私が「帰属しているor帰属させられているor帰属せざるを得ない」社会の思想の中には「アニメを見る人間はキモい!」という考えがあると私が思っているから、恥ずかしいと感じるのである。



逆に「俺はオタクだ!一般大多数の人間が構築する正しい社会なんてクソ食らえだぜ!」という潔い信念を持っている人がいるのならば、その人は電車の中でスマホでアニメを見ようが、学校内で全裸で佇んでいたとしても、なんら恥ずかしいと思う事はないだろう。(後者は厳重注意になるであろうが)



自分が「恥ずかしい」と思った時、自分が帰属している社会の存在を垣間見る事になる。


それは厳密には社会ではなく信念なのかもしれないが、自分が帰属している、頼りにしている大きな何かである事には違いない。



「自分がやりたい事、好きな事」を「恥ずかしい」と感じる時があったのならば、帰属する社会と自分の性質が大きくズレているという可能性は高い。


強大な集団に帰属しなければ、生きるが難しい場合もある。

しかし、やりたい事を心のままにやらないで、何が人生なのか、という事でもある。


少なくても、恥ずかしいという感情を自分の心で明確に捉えその原因を追求する事は、そういった「帰属する社会」と「自分の好み」の板挟みを解消するための良いキッカケになるのではないだろうか。


【社会から、「しなくてもいいこと」を強要されて、人生を無駄に費やしていると思ったのならば「しないこと」を考えてみる!!】