ただ書くためのブログ
ブログと日記に大した違いを感じない人がいる。
要は、他人からのコメントやアクセス数や利益なんて事には一切目もくれず、自分の感情を好きなようなぶち撒けて執筆活動を行っている人だ。
自分の感情を一冊の本の中に留めるだけか、サーバーの中に格納しておくか、それだけの違い。
データの保存先を、自分のハードディスクにするか、クラウドにするかの違い。
そういう認識の上で、ブログ活動を行っている人も、それなりにいるのではないだろうか?
ストレス発散には種類がある
カラオケやボーリング。
あれがなぜ人気の遊びになっているかというと、自分の感情を大きく外に出す事ができるからだ。
それと同様の理由でブログはもっと人気になるべきだと思う。
国民全員がブログを書くべきだとは言わないけれど、それでもストレスの溜まっている多くの人間はブログを始める事を強くオススメする。
カラオケやボーリングのストレス発散は、物理的で曖昧な発散の方法である。
大きな声を出す、叫ぶ。そうやって発散するのがカラオケである。
投げる、壊す。そんな発散方法がボーリングである。
(個人的にはボーリングでスコアを意識するのは逆にストレスが溜まってよろしくないように思う)
言ってしまえば、両者は多少乱雑である。それに集団で行うストレス発散方法なので、最大公約数的な感情しか吐露できない。
ストレス発散の意味合いもあるが、あれは接待や社交術の側面を大きく有しているから、純粋に自分の心の繊細なモヤモヤを吐き出すには十分に適しているとは思い難い。
怒りを沈める方法
人によって成長速度は違うけれども、文章は書き続ければ上手になる。
語彙力、文章構成、相手目線での思考。
まぁ、そういった成長もあるだろう。
しかし、ブログを通じて成長する能力で注目するべき事は「自分の感情を事細かに表現する能力」である。
カラオケやボーリングに、それはない。怒っている事、悲しい事を認識して、それをそのまま吐き出す事はできるだろうが、その原因の詳細を考える事はできないし、将来的な改善策を立案する事もないだろう。つまりはその場限りな解消法なのだろう。
自分がどうして怒っているのか。それが正しく詳細に判明すれば、大概の怒りは軽減される。と私は考えている。
他人が仕事をサボるのを許せないと思うのも、「金を貰う限りは、それ相応の対価を支払うべきであり、不当に利益だけを貪るのは社会全体にとって悪循環しか生まない」という風に、自分が大切にしているのは、「社会の発展」と「約束は守れ」っていう事だと解釈できる。
そうやって「怒っている理由は、それだけ自分が大切にしているものがあるんだなぁ」と思えると不思議と落ち着く。私だけだろうか。
どうやったら将来がよくなるだろうか?という対策についても多少のエネルギーを費やす事ができるから、怒りのエネルギーが相対的に減るのだろうか。
しかし、「言語化して思考する」という過程がないと、「俺、アイツムカつく!許さん!攻撃じゃい!」となってしまい、世界全体がこの流れになると自然に人は滅んでいくだろう。
心の毒出し
精神的なストレスを抱えやすい人ってのは、感情表現が下手くそな人なんだと思っている。
イヤな事があっても、それを言葉にして他人に愚痴れば多少はスッキリするのが人間である。それができない人が体調を崩したり暴走したりしてしまうのである。
そりゃあ、自分の心の中にストレスを延々と溜め込んだら、いつかはパンクするに決まっている。毒は適度に吐き出さないと。
つっても、常日頃から毒を他人に撒き散らしていたら、きっと友達は減るだろうからブログをやったらいいと思う。
ブログは心のデトックスツールとして優秀なのである。