ハイスペックになりたい

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ハイスペックになって、人生を楽しみたい


有り余る才能が欲しい。


普通の人が8時間かけてやるタスクを30分程度でこなしたい。その上、残った時間を使ってその作業を人工知能化して今後人間がやる必要性を消滅させたい。


「人間が仕事なんかしてちゃダメだよ!もっと機械に仕事させて人生をエンジョイしないと!」とか言いたい。



論破とかしたい。ふざけた自己満な論理を振りかざして「俺つえー」とほざいてる奴を、論理的で皆にわかりやすい伝え方で一同拍手の嵐になるような意見を展開して、調子こいてる奴らを成敗したい。


正義とか愛とか公衆の面前で言ってみたい。



ハイスペックになりたい。

ハイスペックになって、勝者になりたい

自分だけが圧倒的に有能であれば、仕事だろうが遊びだろうが、どんな活動だろうが楽しいのではないだろうか?


その逆で、何をやっても有能じゃなければ、何をやっても楽しくないのではないだろうか?


好きな趣味ができたキッカケだって、「他人との比較から免れる事ができる」もしくは「他人との比較で優位に立つ事ができる」って理由が大半なんじゃないかな?


要は、スペックという概念が逃れるか、スペックという世界で勝者になるかのどちらか、でないと快感はやってこないってことなんだろう。


だから私はハイスペックになりたい。

ハイスペックになって、この世を儚んでみたい


「全ての物事が簡単過ぎて、人生がつまらないよ!はは!」


みたいな事を言ってみたい。わざわざ気を遣って馬鹿な人間に話を合わせて、自分の有り余る才能を嘆いてみたい。


「まぁ、あの人だって一生懸命に努力しているんだから、それを傷つけちゃ可哀想だよ!はは!」


とかいって、優しいフリをしといて嘲笑してみたい。すごい優越感ありそう。


こう、相手の事を完全に理解しておきながら、演技で相手に合わせてる感じってめっちゃ有能感ある。


よって私はハイスペックになりたい。

ハイスペックじゃなくて、よかった。


こうやって考えてみると、ハイスペック過ぎる人間って嫌味っぽくなるのかね?どうしても自分より下の人間しかいないってのは、自然と侮蔑と嘲笑の癖が付いてしまうのかもしれない。(単純に私の性格が悪いだけかもしれない)


有能過ぎて、明らかに自分の意見が全てにおいて正しくて、絶対的に自分以外の全ての人間よりも優れている事が明らかならば、その人の性格に謙虚さなんて発生しないだろう。それに誰にも頼らないで、裕福な生活ができるのならば、感謝する事も優しくする事もないだろう。




たぶん、能力が飛び抜ければ誰だってそうなるんじゃないだろうか?


誰にも馬鹿にされた事のない人間が、馬鹿にされている他人を気遣う事なんてないだろう。

挫折を味わった事のない人間が、謙虚に生きるなんて事もないだろう。

誰にも助けられた事もない人間が、感謝を捧げる事もないだろう。



ならば私はハイスペックじゃなくて良かったのかもしれない。


お陰で気遣いも謙虚さも感謝も手に入れる事ができたのだから。