優れた考えでも鈍足ならば英断ではなく愚鈍であり無能である。

英断とは、自分の妄想をひけらかす事ではない

思いきりよく事を決すること。すぐれた決断。

優ぐれた決断は無論、優れている訳である。とっても有効な策であり、現状を画期的な手段で良い方向に変えてしまう策の事である。




しかしながら、どんなに素晴らしい案でも、思考は頭の中にしまいこんでいるだけでは、何ら価値を有しない。頭の中にある事を外に引っ張り出して実践しないことには一つ意味を為さない。



私は「いい感じめいたセリフ」や「名言っぽいセリフ」や「他人を諭すような言葉」なんかが嫌いであるのだが、それは別に言っている言葉の意味が理解できない訳でもないし嫌いな訳でもない。言うだけ言っといてロクに行動しないから嫌いなのである。その癖、自分がさも有能な人間に変身したかのように振る舞い他人をコケにする。非常に面倒臭いし正直言って気味が悪い。




自分の妄想だけで事が完結してしまう様を他人に堂々と見せつけるってのは気持ちが悪いのである。



それは他者と話しているのに、自分の世界で自分が気持ちの良いようにしか考えられていないからである。その上、実益も皆無だ。つまりは取り巻きの人間は得する事が一つもない。そんな事は自分の部屋でやれば良いのである。

英断とは、行動を伴ってこその言葉である

さて、そんな気持ちの悪い行為であるが、それは「せっかく優れた考えが発案できるのに、即断即決ができない人」にも通ずる所がある。



仮に優れた思考を頭の中に閃かせる事ができたとしても、その考えを公表して「やるぞ」と周知したとしても、いつまで経っても実行に移せない姿を見ると、私はその気持ち悪さを感じてしまう。



決断の素晴らしさは、基本的に実行が伴ってこそ発生する。



最終的に行動することができなければ、その思考は意味を為さない。というか余計に周囲を期待させて盛り上げただけ、かえって迷惑である。




説教めいた人間だって、最初はみんな注目して聞き耳を立てるだろう。初期の印象は「コイツはスゴイ奴なんだな」と思って恐れおののくだろう。



だが、その後のその人の様子を見て、さらには繰り返される実現されない虚言とも言える自己の妄想を繰り広げる醜態を目の当たりにする度に、その人への評価は急降下する事だろう。最初から何も言わないで黙っていれば、そんなに評価が下がる事もなかったろうに。




そんな事を、「優れた発案をする人」や「社会的に正しいと思う行為を提案する人」に対して思う。



特に後者みたいな「やるべき事」、「あるべき姿」みたいな思想を振りかざして弱い人間や怠惰な人間を叩く割には、いつまで経ってもウダウダと偉そうな事をほざいている人間についても思う。

英断よりも実践行動の方に刮目するべき


結局は「行動ありき」であるとしみじみと思う。



思考した事を必ずしも行動できるとは限らないが、行動した事についての思想を主張する事は容易だ。



よって、崇高な理屈をひねり出すのは、兎にも角にも行動した後で構わない。



誰かの劣化コピーでも、惨憺たる結果でも、劣悪な評価でも。


それでも現実で行った行動は、理想の世界の心地よい思考に圧倒的に勝る。