深夜にハイテンションになって作り上げる黒歴史を全面的に肯定しろ!それこそが夢と生きがいを作る。

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深夜のハイテンションと翌日の気恥ずかしさ

夜になるとテンションが変わる。


中学生高校生ならば余計にそうだろう。


例えば、自分のオリジナリティ溢れるポエムを書き連ねて「自分は天才だ!」とか思い込んで、朝起きたら黒歴史に大決定してのたうち回ったり。

例えば、友達と夜に遊びふけって、互いに純度100%の自分の夢を熱い感情で語り合って、次の日の朝、互いに微妙なテンションで昨日の事をなぁなぁで誤魔化し合って心の中で恥ずかしさがこみ上げる時。


どうにも暗く狭い環境は、人の心の中を開放的にするらしい。


そんな法則が毎晩毎晩、人の歴史の中に青春という名の思い出を作っていくのだけれども、誰もがその記録を辿ると恥ずかしさで熱くなり、しまいには青ざめて黒で塗りつぶしたくなる。まぁ、そんな様々な感情が心の中でジェットコースターみたいに駆け巡る事を青春と呼ぶのかもしれない。



人の心は移りゆくものだが、朝と晩の二つを見比べてみただけでも、人はまるで別の生き物だ。朝の気だるさは不快だが、それはそれで丁度良いブレーキなのかもしれない。

自己陶酔と社会的な大人


大人になるにつれ、社会に溶け込むにつれ、「熱い気持ち」や「自分だけに秘める純粋な気持ち」は反社会的な感情、自分勝手な感情だと判断して、「子供みたいな行為」とラベル付けして蓋をしてしまう。


無論、大勢の人達の中に紛れて自己の利益を追求しなくてはならない社会の中では、それは一つの正解だ。


だが、中学生や高校生の時に作り上げた黒歴史を振り返って見て欲しい。「客観視する」のではなく「黒歴史を作っている主体」として振り返って見て欲しい。


今ならば恥ずかしくてのたうち回りたくなるような思い出でも、その時の私はきっと本気でそれを信じていたし、周囲の人間の悪い反応なんて想像だにしなかっただろう。



自分の世界に入り浸って、他人の批判は受け付けない。言ってしまえば自己中心的で反社会的。



だからこそ、この精神状態は大人になるにつれ失われていくものであり否定されるものだ。


黒歴史と夢は近似している


だがしかし、自分が黒歴史だと断定した妄想にこそ自分の夢は詰まっているのではないだろうか?


というか、黒歴史を否定しておいて「夢がない」と嘆くのはあまりにも間違っている。感情を捨てたら心の底から笑えなくなった、と言うくらいふざけた話だ。


自分の黒歴史の中にこそ夢の要素がたっぷり詰め込まれているというのに、それをまるごとポイ捨てする。


ふとした時に、黒歴史を振り返って見ると、「恥ずかしくて、黒で塗りつぶしたい!」なんて発言を周囲にいる社会人達に、まるで自分に社会人適正がある事をアピールするかのように叫び立てる。そして自分が大人になった事をしみじみと実感して悦に入る。


その挙句に、「夢がない」なんて言って悲観する。夢はさっきポイ捨てして、夢を持った事を存分に恥ずかしがったじゃないか。ならば今、持っている訳がないじゃないか。



大切なものはそっと胸にしまおう

社会人になってしまうと、自分の夢をありのままに誰かにぶちまけるのは難しいし、デメリットが大きく付き纏う。子供の頃ほど容易に夢を語れなくなるのが大人だ。


社会に紛れるためには、社会で生活していくためには、少しひねくれた意見に同調する必要もあるかもしれない。純粋な夢を持っている事がダサく感じられる時も来るかもしれない。



しかしながら、それはあくまでも「ポーズ」の一つとして行っていれば良いものである。


皆が黒歴史と言ってあざ笑う精神状態を。自分の世界に没頭してポジティブな感情しか発生させない精神状態を。心の中にひっそりと忍ばせておく事は大切な事だと思う。



現実に打ちのめされて、現実に適応するために、自分の中の大切な何かをさっぱり捨てる必要はない。心の隅に大切に保存しておけば良いのである。




その大切な何かを夜に一人でそっと開いて育てて、朝が来ればまた胸にしまう。


そうやって日々を過ごす人が、芯のある人になるのだろうし、流されない人になるのだろうし、夢を叶えていく人になるのだろうと思う。