イロトカタ

純然たるイロトカタです


良い文章を書くにあたっては、語彙と文体は表面を覆うに過ぎない。

良い文章を書きたい。ブログを書き始めると、ふとそう思う時がある。


別に、自分の感情の発散先として始めたこのブログなんだから、誰も見ていなくても、どんな表現方法であろうとも、自分の日々の生活で溜まった鬱憤が晴らせればなんでもいいじゃないか。


そんな感じにもう一人の自分がツッコミを入れるのであるが、どうにも余裕や退屈や飽きが来ると同時にまた新たな目標(苦労とも言う)に向かって果敢に走り出していくのが、また別の自分なのである。


楽園はそこにあるのに、安住する事を嫌って未開の地への開拓に希望で胸を膨らませる。


そんな壮大に自分の行動を語るつもりはないけれど、やっぱり繰り返しに幸せを見出だせない私はまだまだ若いのだろう。


仕事ならば出世。恋愛ならば結婚。ブログならば文章力だろうか(はたまた収入だろうか)。


なんであれ、各分野にはそれぞれ進化の方向性のようなものが用意されている。(どの方向が進化なのかは、また人によるのだが)



ブログというジャンルでの一つの進化。それが文章力の向上。良い文章を書くという行為なのだろう。



ブログで言う所の「良い文章とは何ぞや?」を語るつもりはない。


ただ、今思う事は「五感を通した上での体験」があってこそ、文章は広がりを見せるのだと言う事。


別に、その五感の体験が空想妄想の世界でも良い。そこにリアルさと感情が含まれているのならば良い。



だが、「語彙量の多さ」や「文体の多様さ」を追求した所で、文章の素晴らしさを追求する事にはならないのだと思う。



自分の体験と感情こそが最重要なのであり、「語彙と文体」はそこに些細な装飾を行う程度のものなのだろう。



だからこそ、良い文章を書きたいのであれば、「他人の体験と感情」が多分に含まれた本を読んで、自分自身がその人の体験と心情を「追体験」するのが良いのだろう。


もしくは、ストレートに現実世界で色々な事に挑戦するとか。やはりシンプルに王道を行く事は効果が高い。


さらには、自分の天才的な想像力と創造力を発揮して、自分の世界を構築してその世界の中を体験して感情移入するというのも手なのだろう。
(できる人は本当にできるらしい)



まぁ、なんであれ、上っ面ばかりをなぞっても大切な事は何も手に入らないという簡単な話なのだろう。



自分の感情を表現する能力、文章を装飾する能力。勿論それらも欠かす事のできない大切なスキルである。


しかし、それらの大本の材料になるのは五感を通して体験と感情である事は確かだ。



だから、もし文章が書けなくて、良い文章が書けなくて手が止まるような事があったならば、その時は読書でもしよう、別の新しい何かをしよう、妄想に浸ろう。


材料が枯渇した状態で建物は立たないのは当然なのだから、落ち込まないで材料調達に出かけていけばいいのである。