昔の人は過労死したのだろうか?人類は進歩しているのだろうか?

過労死と死ぬまで働く原因

過労死っていう死に方があるらしい。どうにも働きすぎて体を壊して死んでしまうらしい。


死ぬほど働く事ができるってのは常人には中々できる事ではない。普通の人は自分を守るために、何らかの病気や症状を発生させて無理やりにでも働けない状態を作って自分を守る事だろう。


しかしそんなリミッターを解除してまで労働のために自分の体に鞭を振るう。自分が死ぬまで振るう。



何のためにそこまで頑張ったのだろうか?自分の命を賭してまで手に入れたい何かがあったのだろうか?



「命を全力で燃やしてでも手に入れたい何かがある。それを手に入れるためには死んだって構わない」なんて考えは一つの生き方であるから否定するつもりは一切ないけれど、過労死した人間達は、過労死してでも手に入れたい物ってのはあったのだろうか?そしてそれは自分の命に見合う代物だったのだろうか?



バイトで過労死しようが、バイトを猛烈に頑張る事でしか手に入れられない何かがあったのならば、それはそれで構わない。


だが、ただ単純に「バイトの予定が入っているからバイトをしていた、体力がなくなったから死んだ」なんて死に方だったらあまりにも酷いとしか言いようがない。

過労死と昔の人


まぁ、どんな人間にも話せば長大になる人生のバックグラウンドって奴がある。過労死した人もそんな背景があったからこそ、辞められない重大な理由があったからこそ、そんな状況になってしまったのだと思いたい。


過労死の話を聞く度に思う。仕事を苦に自殺する話を聞く度に思う。


昔の人はそんな理由で自殺したのだろうか?と。


まぁ、昔の人だって色々な理由で自殺したに違いない。今の社会では到底理解できないような苦しみが昔の人にはあったのだろう。


しかしまぁ、日本の年間自殺者は3万人である。多すぎる数値だ。それに遺書がない場合は自殺とカウントされないらしいから、実の所はもっと多いのだろう。



これだけ食料が豊富に整う環境になったのに、これだけ科学は発展しているのに。



なんら世の中の状況は改善されていないのではないだろうか?


昔の日本の自殺率と今の日本の自殺率は比較しようがないが、良くなっているとは思えない。


過労死と未来の幸せ

何のために潤沢な食料を集める努力をしたのだろうか?何のために科学は発展したのか?


人類が幸せになるためだと思っていたのだが、実際の所は違っていたのだろうか?それともまだ努力が足りないのだろうか?



どうなんだろうか?これから先の未来で人間が働かなくても良い社会が完成されたとして、その時には自殺する人間は減るのだろうか?



それとも今と何ら変わらず、人は意味のない労苦に殺されているのだろうか?



それは私自身も社会の発展に貢献した上で、未来を観察してみないとわからない話だが。少なくても私は私の未来を幸福にするために今日を苦しんだりして頑張っている。



これから先も楽な事ばかりとは限らないけれども、未来の幸せのために頑張ろうと思う。



未来を幸せにしない苦労なんて、全て捨て去ってしまうべきである。