勉強って、なんでBGMと効果音が付いてないの?

映像も音もストーリーもないゲームを楽しめるのか?

ゲームをやる時にさ、何の音楽もないし敵を攻撃した時に何も音がしなかったら、皆やるのかね?やらないよね?


どんなに人間の能力を成長させるにしても、将来の金銭を増大させてくれるにしても、今現在の行動自体に喜びを感じられなければ人間の気力はいずれ力尽きてしまう。


音楽やら効果音やらストーリーやらデザインやら。そういう美麗で魅力溢れる要素がただの長方形のコントローラーを何回も同じように押すような行為を夢中にさせる。


言ってしまえば、ゲームってのはコントローラーの色や形状の違う十数種類のボタンを押す作業だ。


映像も音もストーリーもないで、コントローラーだけを渡されて「さぁ、ゲームを楽しめ!」って言われて楽しめる奴がいるのだろうか?絶対いないと思う。

勉強は苦行だからこそ価値がある

それに近しい事をさせているのが勉強なのである。ただひたすらペンのインクをノートに染み込ませる作業が勉強なのである。黒で汚れた紙の中に長時間、目を泳がせているのが勉強なのである。そんな苦行が続く訳がない。だから勉強は流行らない。



価値がない訳ではない。むしろ非常に価値が高い。


しかし勉強は無機質なのである。灰色なのである。今現在を楽しむのが難しいのである。



とはいえども、勉強をカラフルにしてユーザビリティを上げて、誰にでも簡単に楽しめるようする事には非常にコストがかかる。ゲーム一本の制作費と本一冊の制作費を比較してみれば、量産が非常に難しい事がわかる。


そして、カラフルでユーザビリティで誰にでも楽しめるような知識知恵ってのは、誰でも獲得できて使いこなせる知識なのだから、そこから価値は消失している。コモディティ化しているって奴だ。


だから、大した儲けにはならない。無機質で理解しにくい内容を自分だけが知っていて利益に変換できるから学問には価値がある。

勉強を愛するために

結局の所、勉強の成果でお金儲けをするって目的を達成するためには、皆がやりたがらないような、つまらなくて単調でわかりにくい勉強で格闘しなければいけないって事である。


だからこその希少性であり、有価値なのである。皆が当たり前に持っている事に価値なんか付かない。



まぁ、運良くそういう灰色で無機質な勉強を愛せる気質を所持している人間であるのならば、この世界でお金持ちになるのは簡単な事だろう。



そうでない人間は、苦行を覚悟して勉強と格闘するか、自己洗脳をして勉強を愛せる人格になるしかないだろう。



世界を変えるか、自分を変えるか。簡単なのはどっちだろうか?